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白百合の章67
*
「今晩は、旦那」
月が美しい夜、玉桂の屋敷に現れたのは吾亦紅。玉桂は吾亦紅の姿を見てふっと微笑む。
「――織は、殺さなかったのか」
「……邪魔が入ってね」
「は、邪魔が入ったところでどうこうなるような男でもないだろうに、おまえは。月喰いの鬼だろう」
「……」
吾亦紅は黙って玉桂の横に座る。そして、玉桂の徳利を勝手に手に取ると、なかに入っているお酒を飲み干してしまった。
玉桂はそんな彼をちらりと見遣るだけで、咎めない。
「おまえが傷つけたのは、白虎くらいか。まあ……謹慎ってところか。そのうちおまえのもとに執行官がやってくるだろう」
「そうだね。捕まって……どのくらいかな。そのうち釈放されちゃう」
「釈放されたらどうする。今後、おまえは何をするつもりだ」
「うーん……もう、いいかな。生きる理由もなくなっちゃった」
もういい。そういった吾亦紅は遠くを見ていた。その横顔は儚く、それでいて虚しい。
「死ぬつもりか」
「だって、することないし」
「そうか……また寂しくなるな」
「ふふ……そう。さみしがってくれるんだ、旦那」
吾亦紅のなかの咲耶への憎しみ。彼にとってはそれだけが生きる糧だった。けれど、咲耶を殺せなかった。彼女がひとときでも普通の少女のように笑っていた、あの笑顔を思い出すと。それを壊してしまうことができなかった。
何もかもを失った吾亦紅には、もう生きるための理由がない。
吾亦紅はぱたりと仰向けに倒れ込む。ぼんやりと月を仰いで、そして、目をとじた。
『今度は、おまえ自身の願いを持ってここへ来い』
ふと、昔、「彼」に言われた言葉を思い出す。
……。
「……そんなものないよ……竜神様……」
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