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灼の章8

「あの」  部屋に入ってからも、鈴懸の機嫌はあまりよろしくなかった。先ほどの灼の話の何かが、どうにも気に食わないらしい。鈴懸がこうも露骨に機嫌を損ねることなどあまりないため、織はどうしても気になってしまった。それに、先ほどの『どんなに相手のことを慕っていようが、そいつの美点が失われた瞬間に、離れていく』といった言葉がひっかかる。 「……もしかして、自分と重ねてるの? 灼の話……」 「俺様がそんなにお子様に見えるか?」 「い、いや……だって……さっきの話を聞いた時から、貴方はなんだか」 「ちげえよ。人間に疎まれたからといって人間を呪うようになった、灼が気に食わねえんだ」 「……へえ」  鈴懸は、神社が半壊したせいで人間が神社に寄り付かなくなり、そして力を失った。そして、力を失ったから――ますます人間が神社に寄り付かなくなった。だから、そんな自分と灼が重なり、嫌なことを思い出した鈴懸が機嫌を損ねたのだと――そう、織は思ったのだった。しかし、本人は「違う」と言う。 「俺は「私は可哀想なんです、だから大目に見てください」とか言う奴が大っ嫌いなんだ。自分が不幸なことは、他人を不幸にしていい理由にはならねえんだよ」  鈴懸が不貞腐れたようにごろんと織に背を向ける。 「……不幸になっちまった奴はもう諦めるしかねえんだよ。他人を不幸にしてやれば少しは憂さ晴らしもできるかもしれないけど、俺はそんなことしたくない。だから……灼がムカつく」 「……貴方は、諦めたってこと?」 「そうだよ。俺は……もう、いいやって。諦めた」 「今は?」 「あ?」 「今も、諦めてるのか。俺と一緒にいれば……その、力が戻って、また昔みたいになれるんだろ?」  鈴懸の言葉を、織は十分に理解できた。  鈴懸は、優しいのだ。鈴懸ならば、きっと残った力を使って自分を忘れた人間たちを祟ってしまうこともできたかもしれない。でも、そんなことはしない。そんなことをするくらいなら、自分が消えてしまえばいい、そう思っている。  でも、その考えに、織はもやっとした。哀しくなった。なんでこの人は悪いこともしていないのに、消えなければいけないのだろうと。辛い想いをしなければいけないのだろうと。 「なんだよおまえ。俺様のこと信じてるって言ってる?」 「ちっ、ちがっ……その、」  織の、寂しそうな声。それにあてられたのか、鈴懸は振り返って織の顔を見つめた。    口ごもる姿。何かを言いたそうにもじもじとしている様子。嗚呼、なんともいじらしい。 「……こいよ」 「わっ……!」  鈴懸は痺れをきらして、織の腕を引っ張った。鈴懸に何か言葉をかけてあげないと、でも恥ずかしくて言葉が出てこない……そんな風に迷っていた織は、突然に腕を引っ張られて体勢を崩してしまう。どさりと鈴懸の上に乗っかってしまって、かあっと体を赤らめた。 「まあ……俺のことが見えて、こうして触れられるおまえがいるっていういのは、前よりもマシな点かもな?」 「……、今まで……本当に、誰にも見られることなく、生きてきたの?」 「……せいぜい霊力の強い猫とかそこら辺がじっと俺を見てきたくらい。あとは、通りすがる亡霊とか妖怪。でも、奴らは俺に話しかけてなんてこない。結局俺は、誰かに意識なんてずっとされてこなかった」 「……」  じっと、鈴懸が織を見上げる。困ったように眉を下げている顔が可愛いなあ、なんて思いながら。  そうだ、言われてみればこうして織に触れたのが、久々、本当に久々に誰かに触れたということになる。そして、こうして目を合わせて話すのも。可愛くねえ、可愛くねえ……ずっと思ってきたが、こうして憎まれ口を叩いてくれるのも久々なわけだ。  そう考えると、鈴懸は目の前の織のことを妙に愛おしく思えてきてしまった。こいつがいなければ、自分は永遠に孤独だったんだなあ、……と。 「あのさァ」 「え……?」 「触っていい? 俺、ずっと他人の熱に触れてこなかったわけだよ。ちょっと、おまえに触れたい」 「はっ……はあ!?」  ……そういえば、なぜ、こいつが嫌いなんだっけ。織の林檎のように真っ赤な顔を見ながら、鈴懸は思う。憎たらしい口をきく奴ではあるが、鈴懸はそんなことでいちいち目くじらを立てる性分でもない。時折見せる織の表情は素直に可愛らしいとも思うし……なのに、なぜ。自分はこいつが嫌いなんだろう。こうして恥ずかしそうに視線を泳がせる織なんて、なかなかに愛らしいのに。 「んっ……」 「返事しねえから勝手にいただきます」 「ちょっ……いいって言ってないっ……あ、」  悶々と考えながら、鈴懸は織をぎゅっと抱きしめて、耳に口づけを落とす。かぷ、かぷ、と柔らかいその肌を甘噛みすれば、織がぴく、ぴく、と震えた。 「可愛い」 「ん――……ッ」  ほら、「可愛い」なんて、自然に言ってしまっている。「可愛い」と言われた瞬間に感じてしまってびくびくっ、と震えた織を、もっと可愛いと思っている。なぜ、……なぜ、こんな奴を嫌う必要があるんだろう。 「待っ……ぬ、脱がせるな……」 「しねえよ、びびるな」 「で、でも……」 「おとなしくしてろって」  整理のつかない自分の心。それに苛々としながらも、鈴懸は確かに今の自分の中に存在する織への気持ちを優先した。なんだかよくわからないけれど、愛らしい。そんな気持ちを。 「……あったかいな、おまえの体」 「……、」  織の着物を脱がせて、自らも裸になって。その状態で、布団の中に潜り込む。そうすればぽかぽかと体が温かくなってきて、まどろみが全身を包み込んだ。 「甘い匂いもするし、……気持ちいいな、おまえをこうしていると」 「……」 「お、なんだ? 擦り寄ってきて。おまえも気持ちいいか、織。俺様と添い寝できるなんてすごいことだぞ、じっくり堪能しろ!」 「う、うるさい!」  鈴懸が腕を出せば、そこに織は頭をのせる。そして、鈴懸の背中に腕を回して、きゅ、と抱きついた。  人間から忘れられて、何年過ごしたのだろう。寂しさなんてとうに流れ落ちて心が空っぽになるくらいに虚しい日々を過ごしていたのに、またこうして暖かい夜がくるなんて。  鈴懸は織の髪の毛に頬を寄せ、そっとつむじに口づけをした。耳まで真っ赤になってしまった織をみて、こっそりと微笑んだ。

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