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灼の章14
「ん……」
肌を、冷たい風が撫ぜる。熱に浮かれるように、ぼんやりと目を覚ました織。頬には冷たい空気がふれるのに、体は暖かい。自分がどんな状況にあるのか、一瞬把握できなかったが……意識を覚醒させてゆくうちに、といんでもない状況にあることに気づく。
「す、……鈴懸……!?」
大木に寄りかかるようにして座り込む、鈴懸。そんな彼に抱かれるようにして、織は眠っていた。ここに来るまでに着ていた服はなくなっていて、今身についているのは、鈴懸が羽織っていた上着。寒いようで暖かいのは、そのせいだ。裸に、羽織だけを羽織って鈴懸に抱きしめられているから。
「う、……」
「わっ……お、起きるな、ちょっと待って」
なんだかやたらと恥ずかしいことをされている、それに気づいた織は、鈴懸と話す心の準備ができず、彼の覚醒に焦ってしまった。同時に、鈴懸と激しく淫らな交わりをしたことも思いだし、かあーっと顔を赤くする。
「……灼、はどうなったの……?」
「ん……消えた、」
「そっか……それなら、いいんだけど……」
織が身じろいでも、鈴懸は織を放そうとしない。寝ぼけているのか……?と織は思ったが、特にそういうわけでもなさそうで。目を覚ました鈴懸は
、たしかに意志を持った腕で、さらにぎゅうっと織を抱きしめてきたのだ。
「す、鈴懸……あの……」
どき、どき、と織の鼓動が高鳴る。鈴懸にこんな風に抱きしめられたのは……初めてだ。抱きしめられること自体はまるっきりの初めてというわけではないが、こうして大切そうに抱きしめられるのは。
織はどんな顔をしたらいいのかわからず、鈴懸から顔を背けてうつむいた。それでも、全身に感じる鈴懸の温もりからは逃れられない。次第に早くなってゆく鼓動は、抑えられない。
「……鈴懸」
「……ん、」
「……灼に取り憑かれるの、怖かった?」
「……なに、つまんないこときくな、おまえ。この俺様にむかって」
織は、鈴懸の腕のなかで小さくなる自らの体を見下ろしながら、ふと思う。あの触手にやられて、どろどろになった体。綺麗になっているのは……もしかして、鈴懸が綺麗にしてくれたからだろうか。こうして羽織を着せられているのは、もう使い物にならなくなった着物の代わりに、鈴懸が着せてくれたから……?
鈴懸が自分の知らない間にしてくれたであろうことを考えて、織はぎゅっと胸が苦しくなるのを覚えた。呼吸がし辛くなって、思わず口にそっと手をあて目を閉じる。顔が赤いと、自分でもわかる。……熱い。
「……怖い、なんて。そんなもんじゃない。死にたいくらいに、苦しかった。逃げていた、自分を見せられたから」
「……逃げていた、自分?」
「……おまえに言うようなことじゃねえ」
「……ごめん」
泣いていた、鈴懸を思い出す。意識が飛ぶほどの快楽を与えられた、あの情事。思い出せば体が熱くなるばかりであるが、あのなかの鈴懸を、しっかりと思い出さなければいけない、織はそう思った。あの触手も、鈴懸の意志によって動いていたもの……だから、ああして激しく激しく奥を求めてきたのは……鈴懸が、強く熱を求めていたから。人の熱を。孤独ではないという証拠を、求めていたからだ。
「鈴懸……」
「っ、……」
体の向きを変え、織は鈴懸の胸に頬を寄せる。彼が、孤独に喘ぐのを、見たくなかった。なぜ彼に対してこんな想いを抱くのか、自分でもわからなかったが……織は、彼の悲しむ顔が酷く辛かった。
気の利いた言葉なんて、言えない。これ以上の慰めもできない。これが、織にとっての精一杯の行動だった。緊張でぎゅっと体を縮込めながら、鈴懸に身を寄せることが。
しかし、それだけの行動が。鈴懸にとって、衝撃だったらしい。ぐ、と息を飲み込み、目を瞠る。
「お、おい……織……」
「……俺は、……」
「……え?」
見下ろせば、織の耳が真っ赤に染まっている。顔は胸元にうずめられてしまっているから見えないが……自分からこういった行動をしてこない織の、この行動に、鈴懸は思わず顔を赤らめる。
「……俺は、鈴懸のこと、見えるし……さわれるから……だから、その……鈴懸のことを忘れるってこともないし、……っていうか、忘れるわけもないし、こんなムカつく神様のこと、」
「……、」
「だから……その、……鈴懸、……怖くなったら、さわっても、いいよ。俺の体に、さわって……いいから……」
織が、ぽそりとつぶやいた言葉。掠れていて小さい、そんな声なのに。妙に鮮明で湿っぽく、艶めかしく聞こえた。
「……俺に、妖怪たちと同じことをやれってか。咲耶に触れて満足していく妖怪たちと、」
「……それとは、違う。俺は……鈴懸にしか、こんなこと言わないから」
織の手が、わずかにふるえている。この言葉を言うのにも、勇気が必要だったのかもしれない。今まで、他人にこうして自分を捧げたことなどなかったのだから。他人に献身するなど、人の輪から逃れてきた織には縁のなかったこと。
それを汲み、鈴懸はたまらない気持ちになった。あの織が、そこまでの言葉を自分に言ってくれた、それを思うだけでぎゅっと胸が締め付けられる。
じわじわと、胸の内に染み渡ってゆくこの気持ちはなんだろう。切なくて、熱い、この気持ち。
「……人間如きが、俺様を救う気でいるのか。思い上がりにもほどがある」
「あっ、……」
嗚呼、わからない。頭がおかしくなってしまいそうだ。
鈴懸はぐっと織を抱き込めて、つむじに口づけを落とした。そして、愛おしげに、そのさらさらとした髪の毛の一本一本を唇で愛撫する。
織は、そんな鈴懸の静かで熱っぽい愛撫を、黙って受けていた。頬を染め、どくどくと逸る心臓の鼓動を感じながら。
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