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玉桂の章1
「す、鈴懸さま……なぜそんなにいらいらされているのですか……?」
「黙れ娘」
「うっ……すみません……」
ここ最近の鈴懸は、非常に気が立っていた。そしてそれを宥めるのが、詠の役目。日に日に苛々が募っているらしい鈴懸に、詠もたじたじである。
「……娘。おまえ、いい加減白百合を引き戻してこい。おまえの憑き神だろう」
「えっ」
「白百合が織につきまとっているせいで、俺が近づけねえんだよ……!」
「……」
あ、と詠は察した。鈴懸がいらだっているのは、白百合に織を奪われたからだろうか。
いつも、一緒のベッドで寝ていた白百合。言い争いをしたあの日から、ほとんど口もきかず一緒も寝ていない。白百合がどこで過ごしているのかと思えば、彼女はずっと織のそばにいるようである。多少なりとも、妖力を持つものの近くのほうが心地よいのだろう。
しかし、そのせいで鈴懸は居場所を失った。白百合が威嚇してくるせいで、織に近づくことができない。今のところ人間のなかで鈴懸を見ることができるのは、妖力を持っている織と詠の二人だけなため、消去法で詠の側にいるしかない。……というわけで、ここしばらく、鈴懸は詠のそばにいることが多くなったのだが。
「ああ、くそ……織……ああ、もう~! 織!」
「す、鈴懸さま……」
鈴懸は、大層不満なようだった。
神様の威厳もどこかへいってしまうような、そんな様子でむしゃくしゃとしている鈴懸。それほどに、鈴懸は織の側にいたいのだな……詠は苦笑する。
……それと同時に、焦る。
「……鈴懸さま……あの……織さまとは、もう、すっかり仲良くなられたんですか……?」
「ん?」
織と鈴懸が、どこまで関係を進めたのだろうか、と。
はじめ、白百合から鈴懸がどんな人となりなのかを聞かされたとき。鈴懸は、明らかに織の苦手な系統の男だろうと、詠は思った。人と関わることに慣れておらず内気な織は、高慢で大風(らしい)な鈴懸とは相性が悪いだろうと考えたのだ。だから、織が鈴懸と信頼し合う関係になんて、ならないだろう。……だから、織の中で一番必要とするのは、自分であることに変わりない――詠はそう信じていた。
しかし。
「仲がいい? それはどうだろうな。それはわからないが、ただ最近あいつは俺が近づいても怒らない」
今の織のなかで、もっとも信頼できる存在は、鈴懸だ。それは間違いない。
「……私は、織さまの隣を歩いたこともありませんよ」
「そりゃあおまえは女だからなあ、仕方ない。三歩後ろを歩くのが女の美ってやつさ」
「……ふふ、そうですね」
織が信頼できる存在を見つけたのなら、それは喜ばしいこと。織を想うのなら、彼の幸せを願う、それが正しいこと。それなのに……詠は、織と鈴懸の関係が進むということが恐ろしくて仕方なかった。織にとっての一番は、自分でありたかったから。
……醜い。私は、醜い。
白百合に向かって酷いことを言ってしまったのだって、図星をつかれてしまったから。あれから一度も謝ることもできず、ずっと、白百合とは話していない。
「せめて私が、三歩後ろを歩く女性のように、謙虚で淑やかならいいのですが……」
「?」
「あ……」
自己嫌悪にさいなまれて、詠が視線を落としたとき。前方から、人影が。
「すっ……鈴懸と、詠」
織だ。
白百合がついてまわるようになってから一週間。ほとんど鈴懸の前にも詠の前にも姿を表さなかった織。
「織……おまえ、今まで何してた! 俺にも顔をださないで……!」
「ご、ごめん……白百合さまが外で遊びたいっていうから……」
「外は危険だぞ! おまえ、まだ呪いも解けていないっていうのに……!」
「白百合さまが護ってくれて……」
「何ィ!?」
どうやら織が二人の前に姿を見せなかったのは、白百合と過ごす時間が格段に増えたからのようだ。詠を避けている白百合と共にいれば、詠にはまず近寄らない。そして、詠についている鈴懸にも同じように近寄れない。
そんな、驚きの事実に鈴懸が目を丸くする。
俺だって、心を開いて貰うまでにどのくらい時間を使ったと思ってるんだ。それをこの女狐、一週間で……!
「織! てめえ、他人に触られるのが苦手なんじゃなかったのか! そ、それをおまえ~……! 腰に抱きついているのはなんだ! よからぬ淫術にでもひっかかってんじゃねえだろうな!」
「いや……白百合さまって猫みたいだからあんまり抵抗覚えないっていうか……ほら、髪の毛なんて猫の毛みたい」
「俺様の毛は!? ほら、さらっさらだぞ! 触れ! 織!」
「な、なんなんだよ~……鈴懸……」
ムキになって白百合と張り合う鈴懸。鈴懸がなぜそんなにいらいらとしているのかわからない織にとっては、わけのわからない光景だ。ぷんすことしながらにじりよってくる鈴懸に織が辟易としていれば、白百合がひょこっと織の後ろから顔を出してくる。
「なんだ、鈴懸。嫉妬か? 見苦しいなあ~」
「ばっ……! バカ、そんなんじゃねえよ、っていうかそこをどけろ! 女狐! そこは俺様の場所だ!」
「ほお~? なんだなんだ、竜神とあろう者が人間にご執心ときた。諧謔にしても過ぎるぞ!」
「うるせえ! 元々そいつは俺様の所有物だ! おまえはこの娘の憑きモノだろうが! さあはなれろ、俺様に織を返せ!」
「い、いやだいやだ! 妾は織の側にいるって決めたんだ!」
織にぎゅっと抱きつきいやいやと首をふる白百合。半泣きで織に縋りつく彼女に、思わず鈴懸も黙り込む。
「……鈴懸さま、行きましょう。大丈夫ですよ、織さまならちゃんと彼女が護ってくださるはずですから」
「……詠」
どうしようもできなくなっている鈴懸の手を、詠が引く。
詠は白百合に目をくれることもなく、そのまま織と白百合の横を通り過ぎていってしまった。
「……っ、詠っ……」
織は、様子のおかしい詠を呼んだが――詠は、振り返ることは、なかった。
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