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覚の章3
「神隠し、というやつだろうな」
鈴懸の姿が見えるようになった碓氷家の者たちから盛大にもてなされて、鈴懸と白百合が解放されたのは昼前のこと。織と詠のことが気がかりで仕方なかった鈴懸は、正直なところ、早く解放してくれと焦っていたのだが、それに反して白百合は何事もなかったようにすましている。織と詠の存在が人間たちのなかから消えてしまっている理由も、あっさりと「神隠しだ」と言い放って、さして干渉しようとはしなかった。
「玉桂は織を「嫁にする」と言っていたんだろう? よいではないか。玉桂に織のことはくれてやればいい」
「……おまえ、なに言ってんだよ」
「……冷静になれていないおまえの代わりに考えてやっているのだ。いいか、玉桂に見初められた人間は、その誘惑からは絶対に逃れられない。あれはな、強力な妖術なのだ。玉桂は狙った相手を絶対に逃がさない。そして狙われた人間は、必ず堕ちる。諦めろ、鈴懸。おまえに織はもう、救えない」
白百合は、至極冷静に言い放つ。
鈴懸は、そんな白百合の態度にカッとなってしまった。思わず白百合の胸ぐらを掴み、眼光だけで殺せるほどの勢いでにらみつけてしまう。
「おまえ……! おまえは、それでいいのか! 詠だってさらわれてるんだぞ! なんでそう簡単に諦められるんだよ! 本当に血が通ってんのか、おまえは!」
「……貴様こそ、なに人間相手に執心しておる。はは、まさか本気で惚れたか?」
「……っ」
白百合は胸ぐらを捕まれ、殺意すらも感じるほどに強く怒鳴られても、顔色一つ変えなかった。冷たい瞳はそのままに、あざ笑うかのような笑顔をすっと引っ込めて、表情を消して、吐き捨てる。
「神が愛など抱くな。強い想いは呪いの始まりだ。そなたまで、邪神になるつもりか」
「……っ、」
その言葉に、鈴懸は正直なところ反論が浮かんだ。しかし、それは口から出てこなかった。
白百合の表情が、それをゆるさなかったのだ。
切なそうな白百合の、表情が。
「おまえや、妾のような人にあらず者は、人間にいれこんではいけないのだ。地獄をみることになる。特にな――玉桂。あの妖怪に関わった人間には、手を出すな。あの妖怪に関わった人間を救う方法なんてない。救おうとすればするほどに、こちらが壊れてしまう」
「……白百合、おまえは」
怒りは、収まった。鈴懸は察してしまったのだ。白百合のなかに、なにかがあるのだと。彼女がそうしたことを言うのには、なにか、理由があるのだと。それを聞き出そうとするほどに鈴懸は不躾ではないが、ふと――気になる点が出てくる。……白百合は、少々玉桂に詳しすぎないだろうか。鈴懸も大まかな情報くらいは噂話で聞いたことがあるが、白百合の口ぶりだと、まるで玉桂に関わった人間を知っているといった風である。
「……おまえ、玉桂に攫われた人間と関わったことがあるな」
これは、問い詰める以外の選択肢はない。白百合にとって辛い過去になるのかもしれないが、鈴懸が織のもとへ行く方法は白百合から聞くほかにないのだから。月へなんて、どういくというのだろうか。いつの時代だったか人間が言い始めたが、月はどうやら生身の体ではいけないという。月は地上から見ることができるが実際には遥か遠くに存在していて、そこへ仮に生身の体で行こうとしたら、凍死するとか窒息死するとかなんとか。奇跡が起こって竜へなる力が戻ったとして、月へ行くのは無理だろう。
白百合はきっと、玉桂の居場所とかを知っている。そう確信した鈴懸は、真剣に白百合に尋ねた。白百合ははじめ、ぶすっとした顔をして渋っていたが、あんまりにも鈴懸が真面目に問いてくるものだから、ぼそりと小さな声で呟くように答える。
「……咲耶、が玉桂の嫁になろうとしていた」
「……おまえ、やたらと咲耶について詳しいと思ったら、やっぱり面識あったのか」
「……妾の知っている情報に、期待でもしているのか? 鈴懸。ああ、妾は玉桂のいる場所も知っているぞ。そこへの行き方もだ。しかし――これは言っておく。妾は、咲耶を救った。しかし、それと同時に地獄のような苦しみを味わった。そなたにも同じ想いをさせるつもりは、ないのだ」
「……おまえは、辛い想いをしたのかもしれない。でも、それくらいの想いをしてでも、俺は織を救いたい。……知っているなら、教えてくれないか。なにもせずにここにいるなんて、俺はできない――」
「やめておけ。妾は咲耶とは友人くらいの関係――まあ、それでも大切な存在ではあったが……そなたと織は、それだけの関係か? 惚れているのだろう?」
「……何が言いたいんだよ、咲耶」
じろり、白百合が鈴懸の顔を見上げる。その瞳には、墨汁を溶かしたような真っ黒な闇。邪神、になった者はこうした瞳をしているのか――一瞬、寒気を覚えた鈴懸は、次に聞いた言葉に息を呑む。
「――妾は、救った。神の嫁になろうとした咲耶を、殺して救ったのだ」
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