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覚の章4
「貴女の鬼は、ずいぶんと肥えたのねえ」
――ここは、月の御殿。「月の狐」と呼ばれる妖怪たちが住まう屋敷である。当主は、玉桂。そしてそのほかに住むのが、狐たち。すべての狐が、玉桂の側室である。
狐の一匹が、廊下を歩く少女に話かける。少女は恐ろしく冷たい瞳を狐に向けて、ふっと微笑んだ。
「……もともとです。もともと私の鬼は肥えていたけれど、その姿を隠していた。今のこの大きな鬼が、私の本当の鬼。本来の私です」
少女の後ろに侍る巨大な鬼が、げらげらと嗤った。少女はそんな鬼を一瞥すると、狐に問いかける。
「織さまの姿がみえないわ。私、もう寝てしまうから、挨拶をしたかったのだけれど。どこにいるのでしょう」
「織……ああ、玉桂さまの連れてきた人間かしら。「咲耶」って呼んでいたような気もするけれど。あれが后になってしまうのかしらねえ。ああ、嫉妬してしまうわ。でもしょうがないわねえ……美しかったもの。それに、鬼の匂いがほんのりとしていたわ」
「質問に答えてくださる?」
「あら、失礼。織さまは、大広間にいるわよ。玉桂さまが側室たちに新たな后をお披露目しているみたい」
「……ふうん?」
少女は「大広間」のある方角に首を向けると、すうっと目を細めた。そして――にたりと笑う。
「后――ですって。想いを寄せる方がいるのにね。あは――可哀想。すっごく可哀想、あはは。だから私は織さまが好きだったのかあ――昔からあの方、可哀想なんだもの!」
狐はぽかんとして少女を見つめる。なぜ、笑っているのかわからない。ただ――少女の後ろの鬼がさらに大きくなったように見えた。
少女――詠は、愉しげに嗤って。そのまま、狐のもとから去っていってしまった。
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