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第2話

 街中に流れるクリスマスソングをかき消すように、僕の耳元では秋野春吉の曲が流れる。  もう何回聴いただろうか。あの頃の歌声と多少変わりはしたが、彼の声はいつ聴いても心地が良い。 「きゃあー!」  突然、人々の黄色い声がイヤホン越しにもきこえてきて思わず、イヤホンを外し、足を止めた。 『みなさん、こんにちは』  マイクから聞こえてきた声に驚く。聴きなれたその声は、普段テレビで聴いているにもかかわらず、どこか懐かしかった。 『突然すみません。秋野春吉です』 「きゃああぁああぁ」  トラックの荷台が開き、小さなステージに現れたのは耳元で歌っていた秋野春吉だった。  僕は、信じられない光景に一瞬だけ息の仕方を忘れてしまっていた。 『今日は、12月25日発売の新曲をここのいるみなさんに聴いてもらおうとお邪魔させていただきました』 「……新曲」  予約をしたあの曲だろうか。寒い冬の海に花束を持った秋野春吉がジャケットのCDで、彼の曲では珍しく、バラードのような曲名。 「たしか……」 『それでは、聴いてください《さよならとまた明日》』  ゆっくりとピアノのメロディーが流れる。僕は、そのメロディーを聴いた瞬間、慌ててその場から離れた。  忘れはしない、このメロディーは、この曲は……。 「僕と秋野くんの曲だ」 「今日は、音楽室にいこう」  屋上にきて開口一番に秋野が言ったのは、それだった。どうして、いきなりと首を傾げていると秋野は、少し怒ったように頬をふくらませた。 「先生から聞いた。ピアノ、弾けるんだって?」  秋野にバレてしまった、と話してしまった先生を恨む。ピアノが弾けることは、秋野にも、誰にも知られたくなかったことだった。  だって、僕は落ちこぼれだから。 「弾けるっていっても、うまくないよ」 「そう、なのか?」 「うん」  笑って答える僕に、秋野は少し考えたあと僕の腕を掴んだ。 「それでも、俺はお前の音が聴きたい」  強引に僕の腕を引っ張り、音楽室へと連れ出す。 「ほんとに、うまくないんだよ!?」 「俺だって、うまくもないのにお前に歌声をきかせてる。お前が、俺の声をききたいっていったから」  それを言われたら、何も言い返せない。僕はぐっと押し黙り、彼に引っ張られるまま音楽室に入った。  秋野は、グランドピアノの椅子に座らせるとピアノの蓋をあけた。 「……なに、弾けばいい?」 「んー……じゃあ、シューマンの花の曲」 「ん、わかった」  僕は、曲名をきくとすぐさま鍵盤に指をおいた。 「弾けるのか?」 「大丈夫」  クラシックは一通り習っていた。シューマンの花の曲は、たしかゆっくりと穏やかな印象の曲だったはずだ。  心を落ち着けるため、二回ほど深呼吸をしてから指を滑らせた。  似たような音や似たようなリズムが、だんだんと心を緩やかにさせてくれる。春の陽射しのような曲だ。  秋野は、聴き入るように瞳を閉じている。 (この時間が続けばいいのに……)  そう願いながら、僕は最後まで弾ききった。 「…………すげぇ」  腕をおろした瞬間、秋野が呟いた。 「繊細で音が透けて見えそうなほど綺麗な音色で……なんか、春の小川がみえた」 「大げさだよ」 「そんなことねぇ!」  困ったように笑うと秋野は、僕の手を握りながら言った。真剣な秋野の表情にドキリ、と胸が高鳴る。 「なぁ、お前と俺で曲つくらねぇ?」 「僕と秋野くんで?」 「絶対楽しいし、なにより俺がお前の音に声をのせたいと思った」 「……本気にしてもいい?」 「あぁ」  その答えが嬉しくて、僕は何度も縦に首をふった。  これが、秋野くんとの最初で最後の曲作りだった。

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