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第2話:家では呑まない。①
1.告白
成澤 龍 は目の前を歩く猫っ毛をぼんやりと見つめていた。
陽射しに透けると時折金色に見えるそれは、彼が英国人の祖父を持つクオーターだからだろうか。
彼が一歩また一歩と歩く度にひょこひょこと揺れる彼の髪を、思いっきり撫で回してやりたい。
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祈織 はと言うと、相変わらず寝起きの髪に定番の無地の白シャツ。今日は紺のカーディガンを羽織っている。
3月で昼間が大分暖かくなってきたからと言っても、日が沈むとまだまだ肌寒い。
今日はいつもより風が冷たいような気がした。
龍がきちんと後ろをついて来て居るかを時たま確認しつつ、龍と共通の友人である榊原 仁 と駅に向かって歩きながら談笑していた。
共通の友人といっても、榊原は元々龍の知り合いだった。
龍と親しくなって榊原とも自然と仲良くなった。
歳は2人より3歳年上の25歳だ。
初めて榊原とあった時、榊原の印象ははっきり言って良くなかった。
ロン毛に無精髭を生やしたワイルドな男前が片手に煙草を持ってニヤリと笑ったのだ。
この言いようのない胡散臭さに、鈍感な祈織であっても激しく警戒したものだった。
しかし、実際話してみればどうという事はなく、今や気のいい兄の様な存在である。
あえていうなら、酒を飲むとスキンシップ過多になる所があるが、祈織は特に気にしていない。
今日も3人で龍の家に行く途中だ。
大抵は家でテレビを見ながらか夜遅くまで適当に話して時々呑んで、そのまま眠りにつく。
おおよそこの後も宅呑み寝るまでコースだろうと思う。
そうは言っても祈織自身、お酒に強い訳では無いので、3人の中で一番最初に酔って一番最初に寝てしまう。
ただ、側に誰かいて話し声とテレビの残響を聞きなが眠るのはなんとなく心地が良かった。
龍と祈織はアパートが近く、自分の家より龍の家にいる方が多い。
部類の酒好きである榊原は、一人で飲むのは味気ないらしく二人をよく呑みに誘う。
龍と祈織、榊原と龍の家に泊まるということ自体良くあることだった。
「りゅーう。仁さん今日奢ってくれるって!!"レポート間に合って良かったね会"するって!!ついでに"早めの龍の誕生日会"だって!!」
少し後ろを歩く龍に話しかけると、龍は顔を少ししかめてから口を開いた。
「さかきさん。俺の誕生日5月ですけど。」
「だから早めのって言ってるだろ?」
「.........あんた、自分が明日休みだからって単純に騒ぎたいだけだろ。騒げる理由無理やりこじつけてるだけだろ。...」
呆れる龍に榊原は悪戯っぽくニヤリと笑った。
「...バレた?」
「...アホっすね。」
榊原の横で祈織もつられたように笑った。
龍のアパートに着くと早々に、靴下を脱いで、着ていたカーディガンも脱ぐと洗濯機に投げ込んだ。
ふう。と息をつくとその場で榊原に買ってもらった酎ハイを開けた。
榊原に言わせてみればジュースだというそれはれっきとしたお酒だ。
流れ込んだアルコールに体がじんわりするのを感じながら、フンフンと鼻歌を歌い、テレビのある部屋に直行した。
足取りは軽い。何て言っても明日の講義が休講になったのだ。
普通の休みより臨時という要素が嬉しさを倍増させている。
今日は考えるべくもなく龍の家に泊まりだ。
部屋に入ると淡いブラウンのソファーのすぐ横にあるローテーブルに野菜チップスと酎ハイを置いた。
ボスんと二人掛けのソファーに寝っ転がりリモコンを探り当てテレビをつけると、そのまま野菜チップスを食べ始める。至福だ。
「…む。ニンジンは安定にうまい。
…そのままの勢いでごぼうにトライ。…うむ。
口の中の水分吸い取られる感。
未だかつて、野菜チップスの美味しいゴボウに出会った事が無いぞ…
...ゴボウめ…」
龍のアパートは一人で住んでるにしては広めの2LDK。
いつきても綺麗にしてんな。と友人の部屋をしみじみしながらみる。
トイレと風呂が別ってポイント高いよな。
ひとりごちていると、キッチンで何かを作っていた榊原が祈織が座っているソファーのすぐ下に座る。
「あれ。仁さん、龍は?」
この部屋の主人である龍がこないことを不思議に思った祈織が尋ねる。
「龍はアルコールを飲む前に腹に何か入れていきたいタイプ。」
キッチンで何かを作っていたのは榊原だけではなかったらしい。
暫くすると、ダシの匂いが香ってきた。うどんだ。
美味そうな匂いにつられて、キッチンに行くと、料理なんか作りそうも無い男が段取り良くうどんを作っている。
トントンとネギを刻んでいる仏頂面を見て似合わないその光景に思わず笑みがこぼれた。
「龍〜。うどん俺も食いたい〜。」
近くに寄って龍のVネックの裾を引っ張る。
「ああ。それよりお前手は洗ったのか。」
「あ。洗ってない!忘れてた。まあそこまで汚れてないし大丈夫ー。」
「駄目だ。食べる前に手を洗え。」
「えー。もう野菜チップス食べたし手遅れだよ。面倒くさい。母さんかよ。」
「…洗え。」
「…わかったよー。っとに細けえなー。」
祈織は言われた通り手を洗うと仁と龍の元へ向かった。
うどんはもう出来上がっていた。
「おら!手もうピッカピカ‼︎手を丸ごと食べれるくらい!!これで良いんだろー?」
祈織は龍にこれ見よがしに手を見せつけ少し大げさに言うとローテーブルの下に座った。
祈織が真ん中で榊原と龍はローテーブルの端にそれぞれ座っている。
「いただきまーす。うま!!」
うどんを食べながら酎ハイを飲み、気がつくといつもより酒の量が多くなっていた。
うーん。明日休みだからって飲み過ぎた。
シャツ一枚にスキニーしか着ていないのだがどうも暑い。
「…んー。暑いですねえ。うどんにつられて飲み過ぎましたねえ。…涼みましょうかねえ。」
シャツをおもむろに脱ぐとフラフラと窓の近くに行く。
これは自分が思っているより酔っているかもしれない。
足元がおぼつかないなんて自分でも驚いている。
暑いし、心なしか眠い。
夜の冷気が吹き込んで心地がよかった。窓にもたれかかるように腕だけを窓の外に出す。
成澤はうどんを食べている祈織を心配げに見つめていた。
なにやら先程から酒のペースが早い。
食欲につられて量も増えているのだろう。
いつも缶1個で酔ってしまう様な彼が今は3缶目のふたを開けていた。
徐々に頬は赤く色づき始め、体はゆっくりと左右に揺れている。
酔ったなと確信した時、すぐ近くで自分の作ったクリームチーズの和え物を酒の肴にビールを飲んでいた仁と目が合う。
仁は面白いものを見るようにこちらを見ていた。
「...なんすか。」
怪訝そうに成澤が尋ねると、仁は小馬鹿にしたようなビターな笑みを浮かべた。
「いや?ただすごい心配げにしてるなと思ってな。」
そう言って中途半端に残ったビールを一気に煽ると新しいビールを取りに部屋を出ていった。
その後ろ姿を苦虫を噛み潰したような顔をして見送るとゆらゆらと揺れる自らの想い人に視線を移した。
人の気も知らないように無防備な姿に変な苛立ちを覚える。
この男は人たらしな上、ガードがあまいと言うのか、もはやないのではと思うくらい開けっぴろげなのである。
こんな綺麗顔をした男が今までこうもスレずに生きてきたことが不思議でならない。
うどんを食べ終わっても酎ハイをちびちびと飲んでいる祈織に、そのへんにしておけと声をかけようと口を開いた。
すると、彼はおもむろにシャツを脱ぎ始めた。
シミ一つない彼の肌が着ている白いシャツからチラリと覗くと龍はハッと息を呑んだ。
暑いと小さな声でボヤきながら適当にその場でシャツを投げ捨てると窓際へふらふらと歩き出す。
龍は乾いた口をアルコールで潤すと目を瞑った。
ゆっくりと息をはく。
そうしてから、窓際に居る祈織にチラリと視線をやった。
暑いのか身を乗り出すようにして腕を外に投げ出している。
そんな彼の後ろ姿。綺麗な肩甲骨や、程よく筋肉のついた腕。腰にかけての綺麗なラインに目を奪われる。
細身であるがしなやかに筋肉のついた体は猫のようである。
目に毒だ。そう思いながらも楽しげ鼻歌を歌う背中に声をかけた。
「...祈織。飲みすぎだ。」
祈織はと言うと、後ろから聞こえる声に「んー。」と答えるだけだ。
「いくら暑いからと言ってもそんな格好で身を乗り出すもんじゃない。風邪をひくぞ。」
そう言うと龍は祈織が適当に投げたシャツを拾うと投げてよこした。
背中に当たったシャツに反応して祈織は龍に向き直った。
「...なー。龍。俺結構酔ってる?...腕上がんねーんす。足もふっらふら。」
いつもより三割増でふんわり笑むとケタケタと声を上げ笑った。
するとそこに、仁が冷えたビールを持って部屋に入ってきた。
「...あー…仁さん。どこ行ってたっすか?」
胡座をかいたまま仁を見つめると、ふにゃりと笑う。
仁は祈織に視線を移すと驚いたように目を見開いた。
「..は?....龍...なにこれ。どうしたの祈織。つか、肌しっろ。...何...可愛くね?」
驚いた顔のまま慌てて持っていた片方のビールをローテーブルに置くともう一つのビールを開けた。
飲みながら祈織のそばまで歩き、目の前でしゃがむとチークのように赤く色づいた頬をつんつんとつつく。
その行動がおかしかったのか祈織がハハッと笑う。
それを見た仁は持っていたビールを一口飲むと「ふむ。」と考える様子を見せた。
そして唐突に祈織の頬にキスをした。
右頬に感じた柔らかい感触に祈織はわかっているのかいないのかキョトンとしている。
ただ、龍は黙ってはいられなかった。
「仁さん!何してんですか!?」
慌てて祈織を引き寄せると頬をゴシゴシと服の裾で擦る。
龍の慌てように仁は面白そうにケタケタと肩を揺らした。
「ふーん。やっぱお前そうなんだ。」
そんな仁の言葉に龍の顔は険しくなっていく。
そんな雰囲気を壊すようにとすんと肩に何か寄りかかるのを感じた。
「...祈織?寝るならベットで寝ろ。」
祈織は龍の肩にもたれかかり、今にも眠りそうになってうつらうつらしている。
龍は自分の寝室に祈織を連れていった。
ゆらゆらと体を左右に揺らしながらかろうじてベッドにたどり着く祈織。
相当眠かったのか横になって布団をかぶると5分と経たないうちに寝息が聞こえ始めた。
ドアの横にいた龍だったが祈織が寝たベッドのすぐ横に行くとべつの端に腰掛ける。
頭までかぶった布団を首の下まで下げてやると祈織の寝顔が露になった。
閉じられた目元には長いまつげがもたげ、いつもうっとおしげにかきあげている長い前髪がサイドに流れている。
龍はこの閉ざされた瞼の奥にある瞳が黒ではなく、良く見ると茶色でもないほんのりオリーブ色なのを知っていた。
目が離せない。
長いまつげと形の良い唇に吸い込まれるようにして顔が近づく。
龍はあと少しというところでピタリと動きを止めた。
目の前に祈織の唇が見える。
何をやっているんだとため息のような息をはくと、仁にキスされていた頬を指の腹で少し乱暴にぬぐった。
「...キスなんかさせてんなよ。」
そのつぶやきが寝ている祈織に聞こえるわけはない。
祈織に言ったのか、それともすぐ近くにいて阻止できなかった自分に言っているのか。
その両方なのかもしれなかった。
ぬぐい去れない独占欲に険しかった顔がさらに険しくなる。
龍はぶつけようのない苛立ちから穏やかな寝息を立てる祈織の頬にやけくそ気味に唇を押し付けた。
仁がキスした所と同じところだった。
サッとベットから立ち上がると仁の元へ足早に戻っていった。
龍は冷蔵庫から冷えたビールを1缶取り出すと仁の居る部屋に急いだ。
ドアを開けるともう何缶目かもわからないビールを飲んでいる仁と目が合った。
「...祈織寝た?」
なんともないように龍に聞く仁に自分だけがやきもきしているようで、馬鹿らしくなった。
「...はい。相当眠かったみたいですね。」
ローテーブルを挟んで向かい合うように龍が座ると仁は何を考えているかよくわからない顔でニヤリと笑った。
この人のこの笑い方がいつも誤解を生む。
しかし、そう馬鹿にされていると言う訳でも無いと彼と話してみればわかる。
要は"こういう笑い方をしている"だけなのだ。
祈織も初めこの笑顔にずいぶん警戒していた。
元来、人懐っこい彼のことだ、それが分かるとあれよあれよと懐くので仁も面白いやつだと祈織をよくかわいがっている。
そんなことを頭の中でぼんやり考えながら、この女優は整形だの、このアイドルはぶっちゃけ可愛くないだの何のことは無い仁の話を聞いていた。
夜も更け、時計の針が午前2時を指した頃、仁の話し声が聞こえなくなっていることに気がつく。
なんだと思いながら仁を見ると仁もただテレビを見ていただけだったらしい。
不意に仁と目が合う。
驚いたことにいつもヘラりと笑う仁が真剣な顔をして話しかけてきたのだ。
「...なあ。龍、お前祈織のこと好きだろ。」
その問いかけに一瞬心臓がドクンッと脈打つのが聴こえる。
「......。」
険しい顔のまま答えないでいると、瞬間にいつもの様に仁が相好を崩した。
「ふはっ。んな警戒すんなよ。
祈織のことは確かに可愛いけど、別にお前から取ろうなんて考えてない。
俺からしたらお前も充分可愛んだ。
つまり弟みたいに思ってんだよ。」
冗談まじりにケラケラ笑う仁に、ほっとしたものを感じながらも呆れたようになる。
「あんたみたいな胡散臭い兄なんて要りませんよ。」
いつもの様に冷めた返しをすると仁はまたケラケラ笑う。
龍はケラケラ笑う仁を横目に飲まずにいたビールを開けると一口飲んだ。
「龍、祈織とつるみ始めてからもう何年くらい経つ?」
「...大学入ってからなんで3年...4年すかね。」
そうだ、もう大学4年。
季節も過ぎて4月後半。
二人はつい先日就職先から内定をもらったばかり。
なかなかの有名私立大学に通っているふたりは就職先もなかなかの大手から内定をもらった。
そんなふたりは卒論のテーマを考え大まかなタイトルは決まったのでそろそろ書き始めるかと思っているくらいだ。
「龍...お前そろそろ我慢の限界なんじゃねえの。
俺の推測だと1年の頃から祈織のこと好きだろ。
3年も片思いとか俺だったらやってらんねえよ。」
「......」
龍は黙ってそれを聞いている。
「祈織...あれ完全にノンケ。どうすんの龍。」
その問いかけに龍自身、何回自分に問いかけたかわからない。
ただ、あきらめられるのならもうとうの昔に諦めている。
初めはそんな大きな気持ちではなかった。
ああ可愛いな。
いいやつだな。
そうやって積もって、積もり続けた想いは、4年の歳月を経てとんでもない大きさに膨れ上がってしまった。
そういった気持ちが一番タチが悪い。
よりによってなんでノンケなんだと思っても遅い。
もうこの気持ちの終止符を打つには祈織に告げて終わりにするしかない。
祈織のことだ、もし思いを告げたとしても避けるようなことはしないだろう。
気まずそうにしていたら自分から離れてやればいい。
龍はそう決めてビールを一気に煽ると上下に浮き沈みする気持ちを落ち着かせるため風呂に入ってすぐ眠りについた。
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