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第104話
石田さんは、広瀬を助手席に乗せると、車を出してくれた。ポットに入れた温かいお茶もくれる。
広瀬は、お茶を飲み、目を閉じた。
石田さんは心配はしているようだが、質問はしてこなかった。質問してもどうせ大した返事は戻ってこないとわかっているのだろう。
しばらく走った後、車はビルの地下の駐車場に入った。
予想していたことだが、そこは、東城の母親の診療所だった。東城の母本人が駐車場の入り口まで出迎えてくれた。
以前から家族のように遇されることにとまどっていたが、今日は病院を探したり、長時間診察を待ったりしなくてよいのでありがたいと思った。
ひどい痣になっている身体を見せて問診された後、レントゲンを撮ってもらい、骨は折れていないことはわかった。内臓も大丈夫だということだ。
だが、左腕の打撲はひどく、筋を痛めていた。顔や他の擦過傷も手当てしてもらう。痛み止めなどの薬の処方箋もだしてもらった。
「単に山の斜面から滑り落ちた怪我とは思えないのだけど」と東城の母親は広瀬に言った。腹や胸を蹴られた跡のことだろう。「喧嘩したの?」と聞かれる。
医者と母親両方のような声音だ。「どうしたの?本来なら、警察に届けなければいけないくらいの怪我よ。広瀬さん、刑事さんだから、届けないけれど」
「喧嘩はしていません」と広瀬は答える。
「じゃあ、どうしたの?まさか弘ちゃんと喧嘩したの?」
真剣に心配している声だ。東城が広瀬を殴ったと思っているのだろうか。
彼は信用されていないんだな、と思う。
子どものころ喧嘩ばかりしていて、母親がいつも相手に謝りにいっていたと本人が言っていたから、こんな風に彼女が心配するのは当然か。
「いえ、本当にまさか、です」と広瀬は慌てて言った。「いろいろ事情があって。あの、怪我してること、東城さんには言わないでおいてもらえませんでしょうか」
東城の母親に診てもらっておいて図々しい言い分である。それに、こう言っても無駄だろうとは思ったが、一応お願いしておいた。何か言っておかないと、自分がこの診療所から離れたとたんに、東城から矢継ぎ早の連絡がきそうだったからだ。
「そうしてもいいけれど、すぐにわかってしまうんじゃないかしら」
「東城さん、今仕事が忙しいので、邪魔したくないんです。それで、会って俺から説明したいんです」
「そうなの」
納得したのかどうかはわからないが、東城の母は広瀬を解放してくれた。
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