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第122話

「このタブレット端末の実験と記憶の実験とにはどんな関係があるんですか?」 「直接は関係ない。でも、僕も近藤理事もずっとあの記憶の実験の後の被験者がどうなっているのか知りたかったんだ。副作用があるっていう人もいたしね。近藤理事は年に何回か広瀬くんに会ってはいたけど、それだけじゃ不十分だった。君に、このタブレット端末のサブシステムの実験に参加してもらえば、君が今どうしているのかがわかるだろう。君の様子を知って過去の実験の影響がるのかどうかを知りたかったんだ。毎日、毎日、君が何を見て、何を知って、誰と会っているのかを、逐一知りたかった。他の人との違いや類似点を把握した。このタブレットがあればわかる。君が何を記憶しようとして、何を忘れようとしているのか。誰を気にせず、誰を意識しているのか。要するに、君の、全てを」 平然と『白猫』はそう言った。 そう言いながら茶色い目が冷静に広瀬を見ている。まるで、ガラス瓶に入っている珍しい虫を観察しているような視線だ。 『白猫』の言葉に対する広瀬の表情を、反応を、見逃すまいとしているのだ。 「僕はね、子どものころから記憶ってなんだろうってずっと思っていた。脳と記憶の研究にはすごく関心があった。それで、滝先生の実験に参加させてもらった。滝先生は当時、その研究では第一人者だったから、チームに入るハードルは高かったよ。研究チームでは実験を手伝った。もっとも、僕は下っ端も下っ端だったから、やらせてもらえたことといえば、君たち子どもの体調の記録とか、宿題手伝ったり、けんかの仲裁したりすることくらいだったけどね。君は、子供たちの中でも特に変わっていた。感情表現がほとんどなくて、きれいで、ちょっと目を離すとすぐにどこかに行ってしまって、僕は困らされたよ。君のお父さんは、この泊りがけの研究の後、ほどなく君を連れて実験から離れてしまった。あの時は残念でたまらなかった。会った時から僕は君のことは一度も忘れたことがない」 「どうして、今までその話を俺にしなかったんですか?」 「君が覚えているのかどうか、思い出すのかどうか、知りたかったからだ」と『白猫』は答えた。「でもこの写真をみて気づいただけで、何も覚えてはいないんだろう」 さきほどから身体がこわばっている。ずっとただの研究者だと思っていた目の前の男が、実験の関係者で、自分を観察していたなんてまだ信じられない。 「なにも思い出さなくて当然だよ」と『白猫』は続ける。「君は、実験のことも、それに関係する何もかも覚えていないだろう。僕が君の記憶を消したから」当たり前のことのようにそう言った。 「記憶を消した?」 「そうだよ」と『白猫』は言った。 「そんなことができるわけが」 「一時的にはできるんだよ。完全に消すことはできない。危険すぎるから。それに、君は今まで何も覚えていなかっただろう。僕のことも、実験のことも何も覚えていない」

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