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第56話
昼時には、両親がお昼ごはんを食べただろうレストランに行った。店の名前は変わっていたが、地元の名産料理という点では一緒だった。
地図の印がついていた場所の中の何か所かは、何もなかった。
山の中の狭い道の先だったり、空き地だったりした。ほとんどがガイドブックにも特に紹介がない場所だった。
20年前のホテルの観光案内に掲載されていて、今は何もない場所もあった。凝った古本屋兼喫茶店だったようなのだが、すでに取り壊されていた。
こういった地図の印が何を意味するのか広瀬にも東城にもわからなかった。
子どもの広瀬がいたずら書きをしたあとに過ぎないのかもしれないし、そこには両親にとって重要ななにかがあったのかもしれない。
昼食後には、遊覧船に乗った。その頃にはかなり雲行きがあやしかったのだが、乗っている間に、とうとう雨が降り出した。
雨は全てを曇らせていた。湖はどんよりして水面は黒い。甲板に出ることはできず、広瀬は、船の窓から外をみた。
記憶の中では輝いていた湖が、目の前ではすっかりくすんでいた。
こうして見ていると今日一日で、何かがわかったり思い出せたかというと全くそうではないことを強く感じた。
ここには、懐かしささえもなかった。
広瀬の隣に座っていた東城が言った。「がっかりするなよ」
広瀬は東城を見た。「俺、そんな感じでしたか?」
「ああ」と彼はうなずく。「今度は季節がいい時にこよう。5月とかさ」
彼は優しい目をしていて少しだが心配そうな顔をしていた。
「そうですね。でも、いつきても同じなんだと思います。あの時とは違う」そもそもあの時の輝いていた湖は、自分の願望だったのだ。
「そうかもしれないけど」
「今度は、違う場所に行きましょう。次は、東城さんが行きたいところに」
普通に旅行に行こう、と広瀬は言った。
外は激しく雨が降りだし、窓からは何も見えなくなった。
暗く沈む船内で、ふと今日一日楽しかったと思った。
東城と二人で、あちこち旅をして、くったくなく過ごしたのだ。
昔のことはわからなくても、こんな風にこれから新しいうれしいことを積み重ねていくことができるはずだ。
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