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第65話
大井戸署の仕事は通常通りだった。
管内の強盗事件、傷害事件を調べている。宮田は出張中で、広瀬は一人で外にいた。大井戸署で報告書をだしたが、高田も誰も、研究所の理事が行方不明だなどという話はしていなかった。
特に広瀬に問い合わせもなかった。
そして、仕事が終わり、夜になって広瀬は忍沼の家の近所の駅におりた。
忍沼に連絡したら、彼はすぐに電話に出た。風邪をひいているといった声は確かに鼻声で、時々咳が混じっていた。
会いたいというとわずかにうれしそうな声になった。広瀬に対する警戒心は全くない、いつもの忍沼の声だ。
「風邪で外のお店に行くことができないから、うちでもいい?」と聞かれた。そして、自宅の最寄り駅を指示されたのだ。
駅の改札で忍沼は待っていた。
まだ秋だというのに寒そうにしてぶ厚いダウンジャケットにマフラーを口まで巻き、帽子をかぶっていた。手ぶらの彼を見るのは初めてだった。
忍沼は、広瀬が階段を降りて改札に姿を見せると手を振ってきた。子どものようなしぐさだった。
「いらっしゃい」と忍沼は言った。「ご飯は食べた?」と聞かれた。声がかすれている。
広瀬はうなずいたが、いつものことだがおなかはすいていた。
「途中で何か買うね。うちには何もないんだ」と忍沼は言った。
駅前のコンビニで、彼はお茶と牛乳、おにぎりを買った。広瀬も自分でおにぎりを買った。
忍沼の後ろを歩き、雑然とした駅前の道を行き、その先の飲み屋街のさびれたビルの3階まで階段で登った。鉄の扉を開けるとそこが忍沼の家らしかった。
「狭くてごめんね」と忍沼は恥ずかしそうに小さい声で言った。
部屋の奥にはベッドがあり、脇にデスクと椅子があった。
机の上には黒い大型のデスクトップパソコンがある。足元には3台ほどの大小のパソコンが置いてあった。広瀬は東城が言っていた忍沼はハッカーだということを思い出した。デスクトップのモニターはついていなかったが、チカチカと小さな緑色のライトが点滅している。
「立ってるのもなんだから、座って」と言って、広瀬にベッド脇のスペースをあけて、小ぶりなクッションをくれた。
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