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第2話

「いつまで寝ているんだい、ナイン」  遠慮のないノック。  いや、パンチだろうか。  がんがんと、コクピットハッチが揺さぶられている。  かまわず、僕は沈黙を貫き通す。人間なら、シーツを被って寝返りをうつような感覚だ。  眠っていたい、何もかもを忘れて、ただひたすらに眠っていたかった。僕を起こしたいのなら、全てを消せばいいんだ。  ミナイと過ごした僕をまるっと全部消去して、新しいパイロットのために調整し直せば良いものの、整備スタッフは僕に蓄積されたデータが消えてしまうのに難色を示した。  まあ、わからなくはない。  常に前線に立って戦っていたミナイと僕が残したデータは膨大で、その全てを失うのは、新しいパイロットを据え付けるよりもリスキーだろう。 「起きるんだ、ナイン。居眠りしていたって、何も変わらないだろう」  ああ、嫌だ。  僕を殴りつける声は、ミナイそのものだ。  とはいえ、彼の肉声であるはずがない。ミナイは死んだ。僕の中で、息を引き取っている。  僕を穏便に起動したいスタッフの、たちの悪い悪戯だろう。  同意があれば、複製体を作れるような社会だ。声を正確に模倣するなんて、朝飯前なはずだ。 「ナイン、起きろ……ナイン」 ――やめてくれ、僕は目覚めたくない。  ミナイが居なくなった世界で、存続し続ける意味なんて僕にはない。世界の存亡など、僕にとってはどうでも良いのだ。 「信じて欲しい。俺は本物の、ミナイ・ユウヒだ。もう一度、お前に会いに来たんだ、ナイン」  温かい手が僕のハッチを優しく撫で、ノックを二回、少し間を開けて一回を二度繰り返した。 『どうしてだい、何故、君はここに居る?』  僕とミナイだけが知る、目覚めの合図だ。  スリープしていたシステムがゆっくりと立ち上がり、固守淡々と隙を狙っていたスタッフにふて寝しないようにロックを掛けられる不快さも気にならない。  僕はただ、モニターから流れ込んでくる資格情報に、唖然とするしかなかった。 「おはよう、ナイン」  僕の目の前に、ミナイ・ユウヒがいる。  整備用のタラップから身を乗り出し、僕に抱きつくようにして立っていた。 『僕でも、幽霊を見るのだろうか?』 「脚は、ちゃんと二つある。俺は、幽霊なんかじゃないさ。ミナイ・ユウヒたる人間だ」  微笑むミナイは、僕の知るミナイそのものだ。  いや、しかし。とてもじゃないが信じられない。  ミナイは、死んでいる。僕の中でただの肉塊と成りはてたはずだ。  悲しい事実は、覆らない。僕の精巧なメモリーは、ちゃんと記録している。覆るはずがない。 「混乱しているね、ナイン。まあ、無理もないだろう。俺自身、少し驚いている。ミナイ・ユウヒが残した記録をたどれば、彼は根っからのナチュラリストだったから」 『まさか、君は複製体なのか? ミナイは思想を曲げて、遺伝子を自ら提供したのか?』 「俺の、現時点の個人データの開示をしよう。すぐに事実だと理解できるはずだ。君ならね」  ミナイと名乗る黒髪黒目の男と話している最中、事後承諾的にシステムの閲覧と保存を希望するスタッフに仕方なく許可をだし、ついでに整備の申し出も受け入れる。  僕は同時にネットワークを介して、ミナイの個人データのアクセスを試みた。  煌歴二〇一五年四月、ミナイ家の次男として生まれたユウヒ――日本の言葉では三内夕陽と書く彼は、日本領コロニーで生まれた。  国際連合軍に入隊し、パイロットとして宇宙域の戦地を転々とし、二〇歳で地球に降り、僕と出会った。  はじめてミナイと出会った日は、今でも鮮明に……映像として記録しているのだから当然だが、しっかりと思い出せる。  なつかしい、今よりも少し幼い面影は子供っぽくて愛らしかったように思える。  当時、生まれたばかりの僕にとって、ミナイは父であり、兄であり、もっとも親しい友人だった。何度も、何度も、生死を共にした。  そして、今から一ヶ月前。  ミナイ・ユウヒは作戦行動中に死亡した。  天才パイロットの早世は、多くの人々を悲しませた。 『君の死を悼んで、勝手に複製体が制作されたのではないか?』  物資と人材は、つねに引き手数多だ。  とくに、最前線に立つパイロットは、政府に提供した遺伝子情報を元に死後、複製体が制作され二回目の従属をするよう望まれている。 『ミナイはナチュラリストであるが、それ以上に怠け者だ。死んだ後も政府に酷使されるなんてまっぴらだと言っていたよ』 「君が疑うのも、無理はない。生前の俺は、とても頑固者だったらしいじゃないか。二度目になれば、報奨金も名誉もたくさん与えるからって飴にもまったく興味を示さなかったのにって、上官殿に愚痴られたよ。遺伝子提供に同意するよう説得するために悩みすぎて髪が抜けたってね」  他人事のように、ミナイは笑う。 「葬儀の際、遺書が部屋から見つかったんだ。遺伝子データと、秘密裏に複製されていた脳組織と一緒にね」  皮肉屋な一面は確かにあったが、今ほど素直に笑うような人間ではなかったはずだ。 『話には聞いていたけれど、仮人格ダミーと話すのはとても奇妙な感覚だ。提示されている情報は確かにミナイだが、すこし君はミナイと違う。本当に、少しだけのズレだけどね』 「しかたないさ、俺はミナイであってミナイではない。魂とよばれるあやふやなものが、この作られた肉体に定着するまでの繋ぎでしかないんだからね。ゆっくりと、彼に取り込まれて消えるだけの儚い人格だ」 『君は、たしかにミナイの複製体のようだ。データが示している。勝手に作られたわけでもない。ミナイの同意の下に作成されている。……どうして?』  ミナイは慣れた仕草で、外部から僕のコクピットを開けた。 「うわっ、これは酷い。計器はともかく、シートはそっくり新しいものに代えて貰わないと駄目だ」 『シートだけ良くしても駄目だろう。洗浄して、消毒して、ほぼそう取っ替えになるね。大変な仕事だ』  コクピットから溢れ出る腐敗臭に、下で作業をしていた整備スタッフたちから苦情の悲鳴が上がる。  ミナイの遺体が引きずり出されてからずっと、そのままになっていた。  どうしてかというと、僕がふて寝を決め込んで、篭城していたからなのだが。 『閉めていいかい?』 「お願いするよ。ここまで、酷いとはさすがに思っていなかった」  青い顔になって、ミナイはコクピットから離れた。 「俺は、ここで死んだんだな。記録上で何が起こったのかは理解していたんだが、実際にこうして見るまではどこか夢心地だったんだ。君が眠っているから、死の間際の記録は正確じゃなくてね。やれやれ、残念だ。俺はやはり消えてしまう存在だったのか」 『複製体は、仮人格が消えるまでは専用の施設で過ごすと聞いているのだけれど、どうして君はここにいるんだい?』 「そりゃあ、ナイン。君のせいだ」  整備用タラップの上で腕を組み、集まってくる整備スタッフを見下ろした。 「戦況は、相も変わらず一進一退。人でも機械もまるで足りていないなかで、現状最新鋭の戦闘兵器である君を眠らせておけなかったのさ」 『なるほど、確かに僕のせいだ。僕は僕の中からミナイのデータを消去されたくなかった。つまり、新しいパイロットを乗せたくなかったから、外部からの介入の一切を拒んでいた』  整備スタッフは、さぞやきもきしたに違いない。  僕の整備をするためには、データの一切を消去して真っ新にしなければ手が出せない現状で、一から始めるには戦況に余裕はない。 「せめて、整備くらいはさせてやっても良かったのに」 『機械だからって、いつも冷静に対処できるとは限らないんだ』  ミナイは「冗談かな?」と笑う。屈託無く笑う様は、やっぱりどこか違和感を覚える。 『まんまと、僕はつられたわけだ。……話を元に戻そう、どうしてミナイは複製体の作成にサインをしたんだい?』 「離れたくなかったんだ、君と」  そっと、ミナイが僕のボディに触れてくる。  銃弾を受けたままの、ぼこぼこの装甲。触れられる感覚こそないが、どうしてか、暖かいものを感じた。  今のミナイは、厳密に言えば生身ではない。どちらかというと、僕に近い存在だ。……だから、なのかはわからないけれど。以前よりも存在を近くに感じた。 「なによりも、誰よりも。ナイン、君と生きる長い人生を、俺は選択したんだ」  二度目の人生に、終わりはない。  生前と同じように生命活動を停止したとしても、すぐに工場で三度目の肉体が生産される。  永遠に続くのサイクルに組みこまれる。  人によっては不老不死と捉え、人によっては地獄と捉える。ミナイは、後者のタイプだったように思えた。 『君は、なんて愚かな選択をしてしまったんだ』  僕に涙腺があったなら、恥も外聞も忘れて号泣していただろう。  ミナイと別れる覚悟は、できていた。寿命であれ、突然の事故であれ、人と機械では何もかもがちがう。 「今の俺は、俺自身が選んだ選択だ」  なだめるようなミナイの声に、僕は『どうして?』と繰り返すしかなかった。  人として生きて、人として死ぬことが君の望みではなかったのか?  微笑むミナイの心中を察するには、僕にはあまりにも経験が足りなすぎた。

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