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対峙 #5 side Y
久々に聞いたその声は、いつになく弾み、そして、とても楽しげな印象だった。
「もしもし、葉祐君?織枝です。こんにちは。今…大丈夫かしら?」
「ご無沙汰しております。大丈夫ですよ。店じまいして、今、片付けが終わったところなんです。ああ、それと先日は真祐がお世話になり、ありがとうございました。」
「いいえ。こちらこそ真祐君にすっかり甘えてしまって、本当に申し訳なかったわ。随分長いこと引き留めてしまって…」
「大学も休みでしたし、山や森ばかりのこちら違って、そちらは海の近くですからね。新鮮な環境の下、かなりリフレッシュ出来たみたいですよ。それに、一人で電車を乗り継いで帰ることも斬新だったみたいで、新しい作品の構想やアイデアがたくさん浮かんで来たって言ってましたし…」
「それを聞いてホッとしたわ。おばあさん二人を不憫に思って無理したんじゃないかって、とても心配だったの。でもね、おかげ様で随分調子が良いのよ。弥生さん。真祐君のことも毎日お話するの。」
「えっ?本当ですか?それはすごい!」
「人に対する記憶は、曖昧なことが多いのにね。やっぱり、ずっとそばにいてくれたからなのかしら。真祐君、こっちにいる間、岩崎邸には一度も行かず、ずっとうちで寝食共にしてくれたのよ。」
「えっ?そうだったんですか?」
「あら?聞いてない?」
「ええ。自分のことは、ほとんど口にしませんからね。そういうところ、冬真似なんですよ。」
「じゃあ、絵本のことも知らないの?」
「絵本?」
「ええ。真祐君、離れるのを嫌がる弥生さんに、『家に帰ったら、やよちゃんのために絵本を書いてあげる。やよちゃんのためだけに書いて、書いたらすぐに送るよ。』って言ってくれてね。昨日、その絵本が届いたものだから、今日はその件てお礼をと思って…」
「そうだったんですね。アイツでもそんな粋なこと出来たりするんですね。ちょっと感慨深いです。」
「粋な計らいはそれだけじゃないのよ。その絵本の絵を描いているのは…冬葉君なの。」
「えっ?冬葉ですか?」
「とてものびのびとした、可愛らしい絵を描くのね。一度も会ったことはないけれど、冬葉君っていう子がとても元気で明るい子なんだって、手に取るように分かったわ。」
「アイツらいつのまに…全然知りませんでした。そっか…」
「あなたの言った通りだったわ。葉祐君。真祐君は本当に優しい子ね。」
「ありがとうございます。真、今日は出版社の方と打ち合わせみたいで、帰りが遅いんです。帰ってきたら伝えますね。織枝さんからお礼の電話があったって。」
「ありがとう。それとね、もう一つ伝えて欲しいことがあるの。」
「何です?」
「その絵本、弥生さんが主人公でね、真祐君と一緒に冒険に出かけるっていう設定なんだけど…弥生さん、こう言うの。『この絵本は大好きだけど、真ちゃんの絵だけ違うって』って。」
「えっ?どうして?」
「本物の真ちゃんはもっと素敵なんですって。彼女なりに力説するの。まるで恋する乙女。それでも絵本がとても気に入ったみたいで、宝箱に入れては出し、読んではしまうを繰り返してるのよ。おかしいでしょう?」
電話の向こうで織枝さんはクスクスと笑い出す。
港から高台へと続く坂の途中にある純日本家屋。その家の住人は、これから先、孫の訪問を心待ちにするだろう。そして、孫の方もこれから先、事あるごとにその家を訪ねるのだろう。冬真が失くしてしまったもの、置いてこなければならなかったものの一部を真が取り戻してくれたんだ。
「今度訪ねた時、弥生さん…見せてくれますかね…その絵本。」
「さぁ…どうかしらね…多分見せてくれるでしょうけど…だけとその分、真ちゃんがいかに素敵な王子様か聞かされるわよ…きっと。」
織枝さんはまた、とても楽しげにクスクスと笑い出した。
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