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本降りになったら #2 side N

本格的に梅雨入りし、本降りの日が続く頃になると、冬真パパの体調は葉祐さんの予想通り、坂道を転がる様に一気に悪い方向へと進んだ。最近では注意深く見ていないと、眠ったのか気を失ったのかも分からないほどで、恐らくこの夏は病院で過ごすことになるだろうと容易に考えられた。食欲もほとんど皆無に等しかったが、俺の作るスムージーだけは心待ちにしてくれていて、それだけが唯一の救いだった。 「パパ〜おはよう〜」 ご機嫌伺いに寝室を訪ねると、パパは目を覚ましているものの、起き上がる気力がないのか、ベッドの中から小さく挨拶をした。 「…はよ…直くん…」 「どぉ?調子は?夕方になったら、ちょっとだけ雨が止むみたい。そうしたら、俺おんぶしてやるからさ、散歩にでも行こうか?ずっと家の中っていうのもつまんないだろう?」 返事はなかった。それでもいつも通り、パパを抱きかかえ、寝室からリビングのソファーへと移動する。その体は若干熱い。微熱が出たのか、体温調節が上手くいかないのか… 「さぁて、何か食べたいものは?スムージー作ろうか?」 ソファーの肘掛けに気だるそうに身を任せたパパは首を横に振る。 「お水…少し…」 「オッケー。」 冬真パパはマグカップに半分だけ入れた水を少しづつ口に含んでいく。 「あっ、そうだ!昨日さ、バイト先で良いもんもらったんだ。見て!見て!」 昨日もらったばかりのものを目の前で広げた。 「これって?」 「えっ?し…」 そこまで言って、慌てて口を閉じる。『知らないの?』この言葉は冬真パパを何よりも傷付ける。危ない危ない。パパは目の前の物がとても気になるらしく、気だるそうにも、少しだけ体を起こした。 「かき氷器。これでかき氷が出来るんだよ。」 「僕が知っているものとは…随分大きさが…違うみたい…もっと…大きかったような…」 「パパが見たのは店のやつだろう?これは家庭用。バイト先のおばちゃんがさ、もう使わないからってくれたんだ。氷は昨日作っておいたし、シロップも何種類か買ったから、すぐに食べられるよ。」 「かき氷……」 「何か思い出でも?」 「うん……調子が良くて…家にいられるとね…お祖父様が…週に一回…甘味屋さんを呼んでくれたんだ。夏になると…たまにかき氷になって…目の前で…大きな機械で…シャリシャリ削ってくれるの。それが見るのが…とても楽しみだった。」 「へぇ…パパは何の味が好きだったの?」 「出てくるのは…いつも金時。それしかないの。食べたことあるのもそれだけ。でも…僕は…ブルーハワイに憧れた。テレビのニュースで観て…綺麗な青だなぁって思って…」 「金時って小豆のことだろ?お祖父さんの大好物だったんだな。お祖父さんが食べたかったんだよ。」 「ううん…違う。だって…食べるのは僕一人だから…お祖父様とは…一緒には食べたことない…」 ああ、また出た…冬真パパのボンボンエピソード。家に甘味屋がわざわざ来るって、どんだけ金持ちなんだよ。しかも、業務用のかき氷器持ってさ。本当に良いところの子だったんだなぁ。でも、また一人。いつでもどこでも、パパには家族の影も香りもない。 「そっか。でもさ、パパのじいちゃんは、パパのことスゲー愛してたんだな。」 「どうして?」 「一人だけのために家に甘味屋わざわざ呼ぶって、そうそう出来ないし、やろうとも思わないよ、普通。それに小豆。少しでも栄養のあるものをって考えたんだろうな。」 「そんな風に考えたこと…なったな。僕は…ずっとお祖父様には…嫌われてるって…思ってたから…」 「孫が可愛くない人なんていないよ。」 「……」 「どんな事情があっても孫は孫。絶対、可愛いに決まってる!嫌いなワケないよ!パパのじいちゃんは、多分愛情表現が下手くそだったんだな。それもそれで、可哀相だな。こんな風に誤解されちゃうんだから。」 「そっか……そういう見方も…あるんだね…おかげで少し…気が楽になったよ…ありがとう…直くん。」 「そんな礼を言われる事じゃないよ。全然普通のこと言ってるだけだし。それよりさ、ごめーん。ブルーハワイのシロップは買って来なかったんだ。後でネットで注文しておくね。今は、イチゴ、メロン、レモンこの3つ。どれが良い?あっ、全部を少しづつのレインボーって手もあるけど。」 「れっ……レインボー?」 「その顔じゃあ、レインボーに決まりだね!」 目の前で氷を削る。パパはやっぱり気だるそうにソファーに横たわっていた。だけど、目の輝きがそれまでと違う。その瞳には、興味のある物を追う気力が戻っていた。氷を削りながら、俺は思う。梅雨入りから夏の終わりにかけて、パパの体調が悪くなるのはもう仕方がないこと。季節の変わり目だもん。誰だって体調崩しがちじゃないか。だったら悲観的に考えるのはもう辞めよう。そうだ!この時期…本降りになったら、パパと旅に出よう!自宅にいながら出来る、パパに未知の世界を見せる旅!元々、好奇心旺盛な人なんだ。少しは元気になるかもしれない。 「あっ、そうだ!かき氷食べ終わったらさ、後で自分の舌、鏡で見てみな。スゲー面白いことが起こってるはずだから!」 俺達はこの小さな旅をまた一つ進める。 小豆しか食べたことないんじゃ、この後、自分の舌に起こってることなんて想像出来ないだろうな。 パパ…本降りになったら、こうやって二人で旅に出よう! 本当に小さな小さな旅だけど…俺がパパが知らない世界を見せてあげるよ。 その後、パパはずっと鏡とにらめっこ。何度も自分の舌を見ては、うふふふと小さく笑っていた。

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