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本降りになったら #3 side N
自分でもどうしてそんなことをしてしまったのか…未だに説明できない。
真の慟哭、呆然と立ちすくむ葉祐さんの姿が…
目、耳、脳裏に焼き付いて離れない。
かき氷から始まった冬真パパとの旅は、パパにちょっとした変化をもたらした。通年なら悪くなる一方のパパの体調が、一進一退を繰り返すものの、調子の良い日が僅かに増えた。自ずと葉祐さんにも笑顔が増え、俺はとにかくそれが嬉しくて、そういう日は、毎日パパの様子を書き記しているノートに、はなまるを書いた。はなまるがドンドン増えて、いつか花束になると良い…そんなことを真面目に考えていた。しかし、短かった梅雨が明け、暑い日が続くと、冬真パパの容態は一気に悪い方へと傾いた。そして…葉祐さんはいよいよ決断する。パパを医療の手に委ねることを。
冬真パパにとって病院は鬼門だ。入院する度に、もう家には戻って来れないかもしれないと思うのだと、いつか教えてくれたことがある。葉祐さんもそれが分かっているから在宅看護に拘るのだ。パパを不安にさせないためなのか、それとも自身の不安を解消させるためなのか、葉祐さんは真と俺に病院へ同行するように求めた。もちろん、俺達はそれを承諾する。病院へ向かう車中、葉祐さんはずっと黙ったままだった。そして、パパは真の腕の中で小さく震えながら眠っていた。
「今日はずっと寒いって言ってたからな。」
冬真パパを包んだ肌掛けを少しだけ引き上げる。葉祐さん同様、真もずっと黙っていた。でも、その横顔を見れば分かる。真は今、きっと良からぬことを考えている。
病院に到着するとすぐ、ここで待つようにと小さな応接室に通された。ここでも真はずっと黙っている。悲痛な表情のまま。そんな真を見ているのがツラくて、俺は缶コーヒーを啜る以外の動作はせず、ずっと瞳を閉じていた。随分長い時間が経過したように感じられた。しかし、壁時計を見れば、まだ1時間程しか経過していない。葉祐さんと先生が応接室に現れたのは、その直後だった。
「お待たせ。二人共ご苦労さん。もう大丈夫。後は任せて。」
「入院……するの?」
ずっと黙っていた真がやっと口を開いた。
「まぁね。でも、安心して良いぞ。命に関わるものじゃない。心臓の機能がね、少しだけ低下してるんだ。まぁ、都心よりはマシだけど、こっちも毎日暑かったからね。疲れも出たんだろう。」
「どのくらい?入院するの?」
「食欲も無いようだし、ひとまず2週間ぐらいってとこかな。後は体力次第。皆、今まで本当に頑張ったね。思うこともあるだろうけど、今日はひとまずゆっくり休んで。」
しばらく沈黙か続いた。葉祐さんが帰宅を促した時、真がまた口を開いた。
「冬真って…幸せなのかな…」
「真?」
「ちょっと前だけど…冬真と公園に行った時…葉祐がおやつにいちごジャムサンドクラッカーを持たせてくれたことがあったんだ。それはそれは嬉しそうでさ…待ちきれないぐらいなの。僕…それを見て、冬真にはこんなことぐらいしか楽しみがないのかなって思った。冬真と同じ歳ぐらいの男性ならさ、大変なことも多いけど、仕事も充実してて、家庭に帰れば子供達からちょっと雑な扱いなんか受けたり…それでもやっぱり幸せでさ。でも…冬真はただのお菓子。しかもそこら辺で手に入る至って普通のお菓子。狭い箱庭の様な世界で生きて、その外側では決して生きられない。しかも、その狭い場所の中でも、病気と過去に怯えて暮らす日々…こんなんで幸せなの?生きてて良かったって思う?」
「真…」
「僕達家族も戦々恐々の日々。ずっと神経擦り減らして、心休まる日なんてゼロ。それでも、そんな家族の庇護がないと生きられない。こんなんで家族全員幸せ?もし、僕が冬真だったとしたら…いっそのこと…殺してくれって思う…消えてしまいたいって…」
「真…それ…本気で言ってるのか?」
「本気だよ!だって全て事実じゃないか!」
バチーン。
応接室全体に重たい音が響く。それは、真の頬を叩いた音。そして気が付けば、俺は真の胸ぐらを掴んでいた。
「お前何言ってるの?いい加減にしろよ!消えてしまっていい人間なんて、この世には一人もいねぇんだよ!何だよ!人の幸せとか価値とか、勝手に決めやがって!っーか、お前何様だよ!パパは…神様に選ばれた人なんだよ!息子のくせにどうしてそんな風に考えてやれねーの?バカ!バカ真!」
「僕だって…僕だって…」
真の慟哭が部屋に響いた。垣内先生に羽交い締めにされて、俺はようやく真と引き離された。先生が何か言ってるけど、もう耳には入って来ない。真の慟哭さえ聞こえない。
分かってる。今の言葉は真の本心じゃない。
真は疲れ切ってしまったんだ。緊張の糸が切れただけ。仕方がない、真はこんな生活を子供の頃から何十年も繰り返してるんだから。
そんな真に…俺は暴力をふるってしまったんだ。
感情のままに…
サイテーだな…俺。
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