60 / 132
本降りになったら #4 side S
「さっさ、上がって、上がって。」
病院まで迎えに来てくれたこの男性は、僕を自宅に急かすように招き入れた。僕の腕をぐいぐいと引く姿は、何かを待ち切れない子供のようで、初老の男性に対し、使うには適切な言葉ではないけれど、可愛らしいという言葉がピッタリだ。泣き腫らした目と頭がずっと重くて、何も考えたくない僕は言われるがままに靴を脱ぎ、引かれるままに廊下を進む。扉を開き、ダイニングに着くと、男性は僕を椅子に座らせ、ニコニコと嬉しそうに言う。
「いやぁ〜ちょうど良かった!下の娘が出産したばかりでね。妻はそっちの手伝いにずっと行ってて、気楽なひとり暮らしを満喫中だったんだけど、そろそろ話し相手か欲しいなって思っていたところなんだ。君が来てくれて、本当に嬉しいよ!気の済むまで、ずっーと、この家にいて良いんだからね!絶対に遠慮なんてしないで!あっ、そうそう。お茶出さなくっちゃ!」
「どうぞ…お構いなく…」
「あはははは。お構いも何も、この通り、老いぼれのもてなしだからね。あんまり期待はしないでおくれよ。しかし、君がうちに来たって知ったら、妻は悔しがるだろうなぁ。目に浮かぶよ…悔しがっている姿がさ。最後に会ったのは確か…冬葉君が産まれた時、病院でだったから…君と会うのは、もう6年振りぐらいかなぁ。当たり前だけど、大きくなったね!背もすっかり抜かされちゃった!」
「何か…すみません…」
「えっ?何で?」
「ご無沙汰している上に…こんな風に突然…」
「何を言い出すかと思ったら!僕と妻はね、君のお父さんのこと自分達の本当の子供の様に思っているんだよ。そんな彼の息子である君は孫も同然!まぁ、実際の我が家には、子供が二人と孫が三人いるのだけれど…見事なまでに全員女性でね。男は私一人。いやぁ〜本当に肩身が狭くてね。盆暮れ正月なんかは特に。だけど、『私には冬真君を始め、沢山の男の子がいるじゃない!』って思うと、何だかワクワクしてくるんだよ。普段虐げられている分、すごーく夢見ちゃう。」
男性はそう言って、ペロリと舌を出した。女性ばかりに囲まれるこの人を想像した。優しいこの人は、女性陣に圧倒され、彼女達の意見に対し、自分の意思など関係なく、全て頭を縦に振るに違いない。そんな姿が目に浮かび、思わず笑ってしまう。
「あっ、やっと笑った!」
「ご、ごめんなさい…」
「いやいや!ほらっ光彦!見てたか?俺は君の孫を瞬時に笑顔にしたぞ!見直しただろ?あはははは…」
男性はそう言って、サイドボードの方を見つめた。そこには古ぼけた写真が一枚フォトフレームに収められていて、その写真には三人の男女が写っていた。左端は男性。面影があるから、きっと若かりし頃のこの人。右端は女性。見覚えがない上に、既婚者が他人の女性の写真を飾るとは考えられないから、きっとこの人の妻に違いない。そして、真ん中に写るもう一人の男性…
この人を僕は知っている。
なぜなら…
この人の写真は…我が家にも飾られているから…
その人の名は…里中光彦。
血の繋がらない僕の祖父。
ともだちにシェアしよう!