72 / 132
Boss #2 side S
僕の手を嬉しそうに握るおじいさんにどこか見覚えがある。けれど、あまりにも朧気な記憶で、考えても考えても一向に思い出すことが出来ず、僕は小さな苛立ちを覚え始めていた。そんな僕の様子にいち早く気が付いた直は、寄り添うように隣に立ち、僕の背中をトントンと2回軽く叩いた。
「ああ、こんなことなら君の作品を持ってくるんだった!サインをもらうチャンスだったのに。」
まるで子供のように悔しがる何とも愛らしいおじいさんの姿と、直のおかげで、僕の苛立ちは徐々に小さくなっていった。
「読んでくださったんですか?」
「もちろんだよ!私はね、君の大ファンなんだ!いいね!君の作品は。静寂で透明な世界の中にあって、それでいて何か温かい流れがある。私はあの時計屋のシリーズが特に好きだよ。」
「あ…ありがとう…ございます。」
「あの…すみません。ボス?」
直がおじいさんに声を掛けた。
「ボス?」
「ああ、さっき石井さんがおじいさんのことをそう呼んでたから。俺も真もおじいさんのこと、何も聞かされてないものですから、名前も知らなくて…」
「あははははは!いやぁ!あの堅物が私のことをそんな風に言うなんて!ああ、君が直生君だね?菅野直生君!」
「えっ?あっ…はい…」
「うん、うん。噂通り!」
おじいさんは直の肩をポンと叩いた。
「噂?俺の…ですか?」
「ああ、冬真から聞いてるよ。人懐っこい、愛らしい外見とは裏腹に、性格は実直で芯が通った青年。それに、どんな時でも真祐を守ってくれる優しいナイトだと。」
「冬真パパが?」
「冬真パパ?」
「あっ、すみません。冬真さんが?」
「いやいや、パパで結構!冬真にパパと呼ばれる日が来るなんてなぁ…うん…」
おじいさんは先程までの元気が嘘のように急に黙り込んだ。おじいさんは冬真のこと、どこまで知っているのだろうか?冬真の悲しい過去のどこまで…僕はこの間が突然怖くなって、慌てて手にしていた保冷バッグを差し出した。
「あっ、あの…こっ…これ…」
おじいさんはそれを見ると再び笑顔を見せた。
「ありがとう!私はこれを毎年楽しみにしていてね。」
「何なんですか?それ。」
直が尋ねた。
「これか?これはね…」
おじいさんは保冷バッグから取り出したのは瓶で、そこには緑色の物が入っていた。
「それ…葉祐の?」
「そう!葉祐君の手作りジェノベーゼソース。私はこれに目がなくてね。毎年欠かさず送ってくれるんだ。葉祐君のご厚意には本当に感謝しているのだよ。」
ジェノベーゼソースを喜ぶおじいさんを見て、今度は僕が黙り込む。
このソースを葉祐が毎年送ってるってことは…
このおじいさんは…
ぐぅ……
直のお腹が盛大に音を鳴らした。
「すっ、すみません。」
「あははははは…結構結構。さぁ、食事にしよう!それに、この大切なソースも預けないと。」
おじいさんは部屋の呼び鈴を鳴らし、支配人を呼んだ。
ともだちにシェアしよう!