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A Wonderful Night #1 side H (Hiroyuki Iwasaki)
そこには冬真がいた。
一点の曇りもない瞳で私を真っ直ぐに見つめていた。分かっている。この子は冬真じゃない。この子に会うことを望んだのは私。念願叶い、歓喜の気持ちが大きい反面、それと同じぐらい後悔、自責の念が湯水の如く溢れ出す。気に掛けていながらも、ずっと独りぼっちにしてしまった子、冬真。何度となく、時を戻せたらと思った。冬葉はどうしてもあの頃の冬真を想起させた。気持ちを整理出来ず、戸惑う私の前に冬葉は一歩前に歩み出で、ペコリと頭を下げた。そして、その小さい右手を私に差し出した。
「こんばんは。里中ふゆはです。おじいさんがとうまパパのママのお兄さんですか?ふゆくんは、おじいさんのこと、なんてよんだらいいですか?」
求められるがまま彼の手を取った。その瞬間、握った手は光り輝き、私の中の暗いもの全てが浄化されていくような気がした。私の心は不思議と軽くなっていった。直生は言った。『冬葉は不思議な子だよ。』まさにその通りだった。冬葉は後悔という呪縛から一瞬にして私を解放してくれた。冬葉は救世主なのかもしれない。本気でそんなことを考えていた。
そう…これが私と冬葉の初対面の瞬間だった。
食事会を終え、私達は真祐と直生が事前に宿泊していたファミリースイートの一室に戻った。リビングルームで私と冬真、直生は雑談を交わし、真祐は別室で出版社からの連絡に対応していた。冬葉は私の膝の上で、もうすでに夢の世界の住人となっていた。彼を起こさないようにと、私は細心の注意を払う。直生は一つため息を漏らした。
「あー本格的に寝ちゃったかぁ…ボス、大丈夫?重いでしょう?最近よく食べるんだよ。成長期なんだろうね。寝室まで運ぶのも一苦労だよ。」
口ではぼやいているものの、瞳は決して嘘をつかない。直生の瞳は愛しい者を見つめるそのものだった。
「こらっ!冬葉!ちゃんと寝ないと風邪引くぞ!」
「う〜ん……チョコ……が…」
「何寝ぼけてんだ?チョコは散々食っただろ?ほれっ!行くぞ!」
直生は冬葉を抱き上げ、寝室へと消えて行った。
「伯父様…すみません。重かったでしょう?」
隣に座る冬真が謝る。
「大丈夫さ。これぐらい。」
「冬葉は葉祐に似て、とても人懐こい子なんです。それでも伯父様は特別みたいですね。」
「そうかな?しかし、『ひろくん』には参ったよ。最後にそう呼ばれたのは、もうかれこれ半世紀以上は経っているからね。」
「お嫌でしたら、注意しますが…」
「いや、大変気に入ってるよ。『ボス』と同じぐらいにね。真祐と直生から聞いていたが、冬葉は実に愉快な子だね。好奇心と探究心、想像力の塊だ。私のことも実によく観察している。」
「スパイ…ですか?」
「あははは…」
私は食事中に起きた珍事を思い出していた。直生が会食の場として指定したのは、ホテルのレストランのバイキング。家族連れや宿泊客でごった返した、少々騒然とした場所だった。正直、こんなところでは落ち着かないと思ったが、指定されたのでは仕方がない。私の存在に気が付いたレストランの支配人がホテルの総支配人、シェフを伴って私の元へ挨拶にやって来た。完全なプライベートだからと、私は彼らの挨拶を丁重に断った。それからというもの、レストランの従業員達が私に注目するようになった。きっと、粗相の無いようにと、総支配人からお達しが出たのであろう。その様子を見て、冬葉は声を潜めて私にこう言った。
『もしかして…ひろくんは…スパイですか?』
『へっ?』
『だいじょうぶ。ふゆくん、だれにもいいません。スパイはたいへんです。ふゆくん、よくしっています。』
『ほぉ…冬葉は何かスパイのようなことをしているの?』
『ときどき。』
『どんなことを?』
『おたん生日パーティーのごちそうはかならずスパイします。パパのとか。しんちゃん、いつもおしえてくれないから。それに…じつはいまもスパイしています。』
『今?何の?』
『むこうにあるデザートです。どんなチョコレートがあるかなって。でも、ぜんぜんみえないの。』
『冬葉はチョコレートが好きなんだね。』
『だーいすき。なおくんがね、ここのレストランには、おいしいチョコレートがいっぱいあるよっておしえてくれたの。』
なるほど。確かにここのデザート、その中でもチョコレートには定評があると役員会で聞いたことがある。だから、直生はここを指定してきたのか。チョコレート好きの冬葉のために。
『でもね、いまからいっちゃダメですよ。ごはんをちゃんとたべてからです。ひろくんもちゃーんとごはんたべてね。そうしたら、ふゆくんがデザートのところまでつれていってあげます。』
冬葉は少し小鼻を膨らませ、自慢気に言った。
堪らず思い出し笑いした私を見て、冬真は小首を傾げる。ああ、冬葉も食事中、何度か同じ仕草をしたっけ。やはり親子だな。
「伯父様?」
「ああ、すまない。いやぁ…実に素晴らしい夜だなと思ってね。」
そう、冬葉の言葉を借りれば、ハッピーの方からやって来る…そう思わせる様な素晴らしい夜だった。
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