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ライバル出現 #4 side S
しんと静まり返ったリビングには、僕と冬真二人だけ。今日の冬真は起きられるけれど、何かをする元気はないらしい。ソファに体を預けたまま、ずっと宙を見ている。どこかはっきりとしないその瞳は、深い悲しみの海を漂っている様にも見えた。僕はキーボードを叩くことを止め、わざとらしく伸びをした。それでも何ら変わることはなかった。
嫌なことを思い出したり、考えてないといいな…
僕には祈ることしか出来ない。
キッチンに回って湯を沸かし、昨日、赤城さんから分けてもらったほうじ茶を淹れる。香ばしい香りが一気に広がって、僕の気持ちも少し軽くなっていた。冬真も同じだったのか、いつの間にか冬真は僕を見つめていた。
「良い………香り…」
「あっ、今、冷ましているから、ちょっと待っててね。昨日、偶然立ち寄ったホテルのバーラウンジのバーテンダーさんが分けてくれたんだ。」
「珍しいね…真くんが…」
「出版社の人に誘われて仕方なく。ああいうところ初めてだし、お酒もあんまりだしで、居心地悪そうにしていたら出してくれたんだ。お酒が得意じゃないの、早々に見抜かれてた。さすがプロだよね。あっ、それから…」
今度はキッチンからリビングに回り、二人分のほうじ茶と共に、皿に乗せた羊羹をテーブルに置いた。冬真はどうやらそれを羊羹とは気が付かず、怪訝な顔でその黒く光る、薄くスライスされた物体を見ていた。
「これ…は?」
「羊羹だよ。昨日、ほうじ茶と一緒に出て来たんだ。素敵なおもてなしでしょう?ほうじ茶と羊羹はベストマッチなんだって。」
「真くん…楽しそう…」
「そのバーテンダーさん、赤城さんっておっしゃるんだけど…自分からは多くは語らないし、必要以上のことは何も聞かなくて…でも、それが僕には心地良くて…自分でも驚くほど饒舌になってた。僕ね、赤城さんの弟さんに似てるんだって。だからかな、僕の話を嬉しそうに聞いてくれた。とても楽しくて、優しい時間だった。不思議だね。お酒の席は苦手で、いつもなら何が何でも早く帰りたいって思うのに。さっ、食べよう!羊羹。本当に美味しいから…」
「でも……」
「大丈夫!その羊羹、何でそんな切り方なんだと思う?」
「さぁ…」
「お父さんが食べても、食事に影響が出ないようになんだよ。そうすれば、お父さんは葉祐を心配させることなく、おやつが食べられるでしょう?赤城さんの気遣いだよ。ありがたく頂こうよ。」
「うん…」
黒文字で一枚刺し、冬真の口元へ運ぶ。冬真は嬉しそうにそれを食した。
「おいしい?」
「うん…おいしい…とても…」
冬真は微笑んだ。
ほらね、美人の出来上がり。
それまでの悲しみにさまよう瞳は今、どこにもない。
「良かった!」
「真くん…いつか……」
「うん、いつか二人でお礼を言いに行こうね。きっと喜ぶよ、僕のお兄さん。」
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台風19号で被災された方々、お見舞い申し上げます。
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