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消えた葉祐 #5 side A

藤原さんに横抱きにされ、リビングに入って来た冬真さんはまるで仔猫のよう。小さく丸まる様に藤原さんの腕に収まっていた。寝起きだからだろうか、何となくふわふわとした印象を与えた。そのまま周囲を見渡して、俺の姿を見つけると、そのまま藤原さんを見つめた。 「どうぞ。」 藤原さんは穏やかに笑って、冬真さんを腕から降ろす。 冬真はやっぱりふわふわと歩き、最後はなだれ込む様に俺の胸に飛び込んだ。 「おっと!大丈夫ですか?冬真さん。」 その問いに冬真さんは少し力なく笑った。相変わらず美しい笑顔。だけど今日は違う。何かが。 冬真さんが何となくふわふわしていたのは、寝起きのせいだと思っていたが、どうやらそうではなさそうだ。食事の時も、その後のお茶の時間も、冬真さんのそれはずっと続いた。 意識の混濁? いや、違う。話は聞こえているようで、問いかけに対し、意思表示をしたり、話の合間に笑顔を見せたりもする。 何だろう…この違和感。 「今日は風呂は辞めておいた方が良さそうだな。」 隣で食器を洗う藤原さんは、ダイニングに座る冬真さんの背中を見て、呟くように言った。 「どうしてです?」 「そうだな…」 「一人で危ないようでしたら、俺が一緒に入りましょうか?」 その時突然、ダイニングの方でガタっと音がした。視線を移すと、冬真さんが小刻みに震えていた。その震えは徐々に大きくなり、ダイニングから程よい距離にあるキッチンにも荒々しい呼吸音が聴こえてきた。藤原さんは洗っていた皿を乱暴にシンクに置き、冬真さんの元に駆け寄った。俺も慌ててそれに着いていく。 「冬真!冬真!俺が分かるか?」 自分だけに視線が向けられるように、藤原さんは両手で冬真の頬にグッとおさえ、視線を無理矢理合わせた。藤原さんの問いに対し、冬真さんはかろうじて首を小さく縦に振った。しかし、震えも呼吸音も一向に収まる気配はない。 「赤城君!悪いがキッチンカウンターにおいてあるピルケースを取ってくれ!それから水を少し!」 「はい!」 慌ててピルケースとコップに少量入れたコップを差し出すと、藤原さんは冬真さんに薬と水を口に含ませた。 「冬真、君の目の前にいるのは俺だ。分かるな。だが、よく見てごらん。目の前にいるのは歳を重ねた俺だ。分かるか?それだけの時間が流れたんだ。大丈夫だ!」 冬真さんは藤原さんの顔を一瞥した後、その隣にいる俺を見て、苦しそうに小さく笑って、糸の切れた人形のように、藤原さんに倒れ込んだ。 「えっ?冬真さん?」 「大丈夫だ。直に呼吸も落ち着くはず。」 「……はい…」 力なく返事をする俺に藤原さんは笑顔を見せた。 「心配するな。本当に大丈夫だ。それより…そこにふすまがあるだろ?」 「はい。」 「開けてくれないか?」 「はい…」 よろよろと立ち上がり、リビングから少しせり上がったふすまを開けると、そこは小さな和室だった。そこは一般的な物よりも少し高さの低いダブルベッドが鎮座していた。そこに冬真さんを横たえさせると、藤原さんはそのまま冬真さんの頭を撫でた。 「すまんな。ここは今日の君の寝床だったんだが…」 「そんなこと…」 冬真さんの呼吸はもうすっかり元通り。矢島さんが言う、可愛いが過ぎる顔で眠っている。それとは対称に冬真さんの両手は、何かに抗うようにぎゅっと拳が握られていた。藤原さんはそれをゆっくり解いてやり、布団の中にそっと戻す。 「冬真さんは…眠ったのでしょうか?」 「いや…どちらかと言えば、気を失ったに近いな。」 「すみません…何かは分かりませんが余計なことを言ったみたいで…」 「気にすることはない。君の優しさ、気遣いは冬真に充分伝わっているさ。」 「そうだと良いのですが…」 「俺が思うに、君は真祐にも冬真にも良い影響を与えているよ。全く異なるものだけど、二人がなかなか得ることが出来なかった存在…それが君。矢島さんもそれに近いな。だから葉祐は、君と矢島さんに話して欲しいと言ったんだ。自分達のことを。もしかしたらそれは、君を絶望の海に突き落とす行為かもしれない。未成年で、しかも真っ直ぐな矢島さんには時期早尚、だが、君なら大丈夫だと俺は思っている。」 「はぁ……それは葉祐さんがいなくなったことと何か関係しているのですか?」 「まぁな。酒でも飲もう。なかなか長い話になる。」 「はい。でも…大丈夫なんでしょうか?酒なんて…」 冬真さんに視線を移す。 「君は本当にいいヤツなんだな。大丈夫。きっと朝まで眠るさ。今の冬真に必要なのは休養なんだ。心も体も。」 「分かりました。では、お好きな物をお作りします。キッチンお借りします。ついでに残りの皿も洗ってしまいますね。」

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