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消えた葉祐 #6 side A
「ふぁ〜…ああ…来てたのか?カズ。」
「おはようございます。俊さん。今、起こしに行くところでした。お風呂沸けてます。どうせ、昨日もほぼ徹夜なんでしょう?」
「まぁ…な。それより今日はどうした?忘れ物か?」
「いいえ、いい加減お借りしたままだった鍵、返さなくては。それより風呂!早く入って、さっぱりしてきてください。その間に俺、朝食の準備しておきますから。」
「ああ…悪いな。それと…留守中ありがとう。助かったよ。」
「いいえ。キッチン…お借りします。」
俊さんを見送り、藤原家のキッチンに立つ。つい最近まで何度となく立っていた場所なのに、随分懐かしく感じられた。
それにしても…もう2か月かぁ…
この家を初めて訪れて。
かなり必死だったとは言え、『はじめまして』なのに『泊めてください』はないよなぁ…
俊さん、よく泊めてくれたよなぁ…
(2か月前)
藤原さんの口から淡々と語られる冬真さんの話は、衝撃的で言葉も出なかった。心臓に持病があることは聞いていた。しかし…
母親による殺人未遂事件
性犯罪の被害
それによる後遺症との戦い
何だ…それ?
あの冬真さんが何でそんな目に遭わなくてはならない?
絶望から派生した怒りが自分の中で炎となっていた。これをどう処理すれば良い?考えあぐねていると、不意にホテルのラウンジで時折見せた真祐君の憂い顔が脳裏に浮かんだ。
ああ…あの子は生まれながらにして、こんなにも重たい物を背負っていたなんて…
真祐君のことを考えると、何とか冷静を保つことが出来た。藤原さんの話はまだまだ続く。理不尽だ。とにかく理不尽のオンパレード。そこから次から次へと疑問ばかりが生じる。どうして冬真さんばかりがこんな目に遭わなければならない?冬真さんはどうして他人に優しく出来る?一番の疑問は最後に聞いた葉祐さんの話だった。
「葉祐は恐らく家にいる。」
藤原さんは確かにそう言った。葉祐さんは家にいると…
「すみません…冬真さんのお話が衝撃的だったせいか…頭が追いつかないようで…家にいるとは?」
「そのままの意味だよ。葉祐は冬真に後ろめたいことをすると、数日、俺に冬真を預けるんだよ。昔からね。」
「後ろめたいこと?」
「アイツの場合、ほぼ100%ヤキモチ。それもかなり的外れな。」
「ヤキモチ?誰にですか?」
「不確かではあるが、俺が思うに今回は矢島さんじゃないかな。」
「矢島さん?どうして?」
「矢島さんとの時間を過ごすようになって、冬真は明らかに変わったんだよ。彼女みたいな子は、今まで冬真の周りにはいなかったんだ。とても良い影響を受けてる。葉祐が特に驚いていたのは、冬真が自分を親バカたと言ったこと。今まで冬真では考えられない。冬真にとって親とは形のない不確かなものであり、故に恐怖そのものなんだ。」
「ああ…あんなことがあったんですものね…お母様と。」
「今まで親である自分に戸惑うばかりだった冬真が、矢島さんのおかげで親という立場に向き合えるようになったんだ。それは、葉祐が何年掛かっても説得出来なかったことでね。それなのに、矢島さんはそれを難無くこなす。焦ったんだろう。で、ついつい冬真に八つ当たり。まぁ今頃、反省しているはずだ。ただ、気の毒なのは冬真だ。何故、自分がこの家に預けられたのか、今回に限って分かっていない。通常、この家に預けられるのは、自分が原因で家族に不都合が生じた時だと、冬真は分かっているんだ。』
「キツいですね…あの人のことだ…自分をどんどん追い詰めてしまいそう。」
「声のこともあの浮遊感も、恐らくそれが原因だろう。心と体のバランスが日が経つにつれ、どんどん不釣り合いになって来ている。分かってはいるのだがどうすることも出来ん。葉祐の意思も尊重してやりたいしな…」
藤原さんは膝の上で固く握り締めた手を見つめ、大きくため息をついた。
「ああ…すまない。気が付かなくて。」
藤原さんは思い出した様に、俺のグラスにワインを注いだ。暫く沈黙が続く。藤原さんの顔は憂いを帯び、それが色気が変わる。とても絵になる。何だかドラマの撮影中の俳優のようだ。
いやいや、そうではなくて…
邪推を払拭するかの如く、頭を左右に振る。それを何回か繰り返したところで妙案を思い付いた。
「あっ…」
「どうした?」
「いえ…あの…かなり図々しいのですが…俺を暫くこの家に置いてもらえませんかもちろん、諸経費はお支払いしますし、家事も全てやります!」
「はっ?」
「かなり図々しいお願いなのは重々承知です。『何言ってるの?お前』って感じですよね?でも…思ったんです。冬真さん一人だから、預けられたという思いが強くなるのではないでしょうか?この生活自体、葉祐さん次第で、終わりがいつ来るのかも明確ではないですし…どんどん悪い方へ考えがちです。でも、二人ならどうでしょう?預けられたというより、遊びに来たの方が比重が重くなりませんか?人が増えれば、一人で考え込む時間も減ります。それに何より、藤原さんが可哀想です。冬真さんのこの家の記憶が寂しいものばかりなんて。そんなの悲し過ぎますよ。葉祐さんを尊重しつつ、冬真さんを不安にさせない最善の方法だと思うのですが、いかがでしょう?」
一気に喋り過ぎたせいか、藤原さんは少し呆気に取られた様に俺を見ていた。
「すっ、すみません。慌てだしく話してしまって…只でさえ非常識な話なのに…きちんと段階を踏んでお話するべきでした。」
「いや、大丈夫。何というか……君は意外と積極的な性格なんだな。よし!分かった。君の案に賭けてみよう。よろしく、赤城君。」
藤原さんは右手を差し出し握手を求めた。俺はそれにすがるように、しっかりと握った。
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