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Pioggia #4 side N
鼻を啜るような音が聞こえ、目を覚ますと、真祐はまた泣いていた。
「真...泣いているのか?今日は外も雨だけど、お前も一日中雨だな。」
ティッシュペーパーを手に取り、涙を拭いてやると、真祐は目も合わせずに無表情で尋ねた。
「僕達......しちゃったの......」
「はっ?」
「だって...僕達...二人共...裸......」
真祐は布団の中をちらりと覗いた。
「あのさ、覚えてないんなら仕方ねーけど...浴槽の中で寝ちゃたお前を引き上げて、体拭いて、ここまで運んで...力尽きて俺も寝た。その証拠に、ほらっ、俺、一応パンツ履いてるし。信じられない?」
「そうだったんだね...ありがとう...疑ったワケじゃないよ......」
真祐は言葉を飲み込むように黙り込んだ。それから、重たそうに口を開く。
「ねぇ、直くん...」
「うん?」
「直くんは...男の人を抱きたいって...思ったこと...ある...?」
「はぁ?」
まさか、ここ数年それをずっと夢見てて、しかも、相手はお前だなんて言えやしない。
「真?どうした?何でそんなこと聞く?」
真祐はまた黙り込み、再度沈黙が続いた。
「冬真がまた…夜中に悲鳴を上げた...一昨日の夜中。」
「えっ?マジか?冬葉、冬葉は?」
「大丈夫...聞かれてない...」
「そっか...」
「僕…わかっちゃったんだ…冬真が悲鳴を上げる時は...フラッシュバックが起きたときなんだって…」
「フラッシュバック?」
「うん...午前中、じいちゃんちに冬真が熱出した時に借りた保冷枕返しに行ったんだ…今、じいちゃんちに伯父さんが来ているんだけど…二人の会話、偶然聞いちゃったんだ…」
「どんな話?」
「伯父さんが言ったんだ...『心臓の持病もだけど、男達に性的暴行されて…しかも、ゴミのように風呂場に放置されて、一命は取り留めたものの、その後遺的症状に長い間苦しんでる冬真の人生って何だろう?葉祐も苦労が絶えないな。』って...」
「えっ?それって…本当なのか?」
「二人で嘘語るワケもないし...それに…冬真は随分前から犯人に狙われてたみたい。伯父さんがそれらしいこと言ってた…」
「それで?お前はどうしたの?」
「びっくりして...悲しくて...怖くて...そのまま...ひたすら走って…じいちゃんちから逃げた。別荘地出た辺りで...直くんの顔が浮かんで来て...会いたいなって。でも、財布もスマホもないから...ひたすら歩いて...」
「歩いた⁉お前ん家からここまで雨の中?」
真祐は小さく頷いた。
抱きしめたかった。
でも...出来なかった。
二人してほぼ裸でベッドの中にいる俺達。
このシチュエーシヨンで抱きしめてしまったら...
大好きな父親が受けてしまった屈辱的な過去と悲鳴の記憶を呼び起こしてしまって、更に恐怖を植え付けるだけだと思った。脱衣場でパンツに手を掛けた時、無意識に暴れたのがその証拠。
それでも...こんな時に、俺に会いたいと思った真祐が愛しかった。
「だったら、腹減っただろ?急いで何か作ってやるからな。」
そう言って、頭をクシャクシャと撫でた。真祐はホッとしたように笑い、自分の判断が間違っていなかったことに安堵した。
「出来たら呼んでやるから、お前はもう少し寝てろ。」
「ううん...手伝うよ。」
「手伝うって言ったって、そんな大層なもの作らないからいいよ。買い物も行ってないしさ、冷蔵庫の有り合わせでチャーハンだもん。」
「じゃあ...お言葉に甘えて...もう一度シャワー借りて良い?途中で寝ちゃったみたいだし...」
「おうっ!着替え、脱衣場にあるからさ。」
バスタオルだけ手渡し、自分の着替えを無造作に手に取り、なるべく真祐を見ないようにして自室を出た。
20分ほどして風呂から上がってきた真祐は、随分と穏やかな表情だった。
「少しは落ち着いたか?」
「うん...」
「まぁ、自分の家だと思ってゆっくりしていけ!なっ。」
「ありがとう...洗濯機回してくるよ。」
「洗剤は洗濯機の上、適当にぶちこんどいて!」
「もう...いい加減だな。」
真祐はクスリと笑って脱衣場へ消えた。こうしていると、普段と何ら変わらない。しかし、アイツは依然として、悲しみ、怒り、苦しみ、混沌とした複雑な物を抱えている。それらが消えることは、きっとないだろう。だけど、それでもそれらを少しでも小さくしてやることは、俺にも出来るはずだ。
そのためにはどうしたら良い?
してやれることは何だろう?
不意にドアホンが鳴った。ディスプレイを見ると、見知らぬ老人が立っていた。背後にはマンションのエントランスが映し出されていて、それは、マンションの外部から人が訪ねて来たことを知らせている。通話ボタンを押し、俺は老人に話し掛けた。
「はい。」
「突然申し訳ございません。こちらは菅野直生さんのお宅よろしいでしょうか?」
「はい。」
「ああ良かった…はじめまして。私、平塚と申します。そちらに里中真祐くんがお邪魔していると伺いまして…」
「ちょっとお待ちください。真、お前に客が来ているぞ。」
脱衣場の真祐を呼ぶと、真祐は何かに怯えるように俺を見詰めた。
「大丈夫。知り合いみたいだぞ。すごく品の良いおじいさんって感じ。」
真祐は恐る恐るディスプレイを覗いた。
「将吾おじさん⁉何で⁉」
真祐はここに来てから一番の元気で、且つ大きな声で叫んだ。どうやら、知人のようだ。
「どうぞ、お上がりください。」
ドア解錠のボタンを押し、俺は老人を招き入れた。
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