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優しい人 #4 side S

「昔...恋に落ちたから...一生分の恋をしてしまったから...」 その言葉は意外だった。あまりにも。 どんな時でも冷静なこの人の口から、こんなにもロマンチックな言葉が出てくるなんて、僕は思ってもみなかったんだ。 「何て顔しているんだ?真。」 「へっ?」 「正直なヤツだな。意外だなぁって顔に書いてある。」 俊介さんはいつも通り、クールに微笑む。 「えっ?あっ、うん。ちょっと...驚いた。でも、いいね!一生分の恋。素敵だね。そのネタ、頂きます。」 不意に直くんの顔が頭をよぎった。 直くんと一生分の恋...成就することない恋... 僕は頭を思い切り左右に振った。直くんには絶対似合わない。そんな悲恋もロマンチックなことも。 気が付けば、俊介さんが笑いを堪えていた。珍しい光景に僕は再び驚いた。 「えっ?何?」 「本当に解りやすいな、真。大丈夫。直生と君はそうならないよ。直生はきっと、君が思い描く幸せへと導いてくれる。」 俊介さんは僕の肩をポンポンと叩いた。勘が鋭いこの人の前では、どう反論しても無理なので、僕は早々にそれを諦める。 「でも...そういう恋ってあるのかな...現実的に。成就も出来ないのに、一生を捧げてしまうような...そんな恋。それってちょっと悲しいよね?」 「そうでもないんじゃないか。」 「そうかな...」 「確かに成就しない恋の結末は切ない。本音を言えば、時計屋だって添い遂げたかったはず。だが、絶対出会えるとも限らない、自分の人生を一変させてしまうような人との出会いと恋...別の角度から見れば、それもまた違う形の幸せなんじゃないか?」 「確かにそういう考えもあるね。でも、どんな人なんだろうな...その人。子供の僕にはまだ分からないなぁ...そういう人も、そういう恋も。僕だったら、そんな大切な人との恋だもん。どんなことをしても絶対添い遂げたいよ。」 「誰かから奪い取ってでも?」 「えっ?」 「奪い取ってしまうことで、その人を傷つけ、不幸にしてしまうこともあるんだよ。俺はそんなの望んでいない。いいんだよ...そばにいられるだけで…毎日幸せそうに笑ってくれるだけで…本当に...本当に...それだけで...」 そこまで話すと、酔いが回って来たのか、俊介さんは両手を自身の腹の辺りで組んで、静かに瞳を閉じた。程なく、小さく寝息が聞こえ、僕は冬葉が寝ている和室からブランケットを持参し、それを静かに掛けた。 俊介さんの顔をまじまじと見つめた。 誰もが見惚れるほどの美貌の持ち主。男から見てもスマートで格好良くて、小学生の頃は、この人が学校に来るだけで校内がざわついたっけ。皆、不思議がっていたよね。どうして結婚しないのかって。 気付いちゃったよ...僕。どうして独身を貫いているのか… 今までの話...時計屋のことじゃなくて…自分の話なんだよね… さっき、『俺は...』って言っちゃってたよ。気付いてないと思うけど... だったら...その一生分の恋の相手は...きっと...… ごめんね、俊介さん。 血は繋がってないけど、息子として謝ります。 ツラい恋をさせて...すみません。 でも...僕達家族は...あなたのおかげで...とても幸せです。 眠っている俊介さんに、僕は深く深く頭を下げた。 「しゅんパパ!しゅんパパ!おきて!おきてよぉ~」 「うっ...う~ん...冬葉?どうした?」 ソファーで眠る俊介さんの上に股がって、冬葉は小さい両手で彼の頬をペチペチと叩く。 「なんでソファーでねてるの?なんでふゆくんといっしょにねてくれなかったの?」 「...えっ?あっ?」 キッチンで朝食の準備をする僕と目が合ったことで、俊介さんは今の状況を瞬時に理解した。 「真、すまない。今、代わる。」 冬葉をそのまま抱き上げ、俊介さんは僕の隣に立った。俊介さんの腕の中で冬葉がキャハハと楽しげに笑っている。 「いいよ。それよりシャワー浴びてきたら?もうすぐ出来るから。でも、珍しいね。お酒飲んでそのまま寝ちゃうなんて…気を付けてね!もう若くないんだからさ。」 「人を年寄り扱いするな。でも、遠慮なくそうさせてもらうよ。ありがとう。」 俊介さんは僕の頭を小突き、冬葉を腕から降ろした。リビングから浴室へ向おうとする俊介さんを呼び止めた。 「お父さん!」 「えっ?」 驚愕の瞳とぶつかった。俊介さんを名前以外で呼んだのは初めてのことだった。 「そんなに驚かなくても…冬葉だってパパって呼んでいるんだから、僕だって良いでしょ?」 「えっ、あっ、ああ...もちろん。」 「あのさ、昨日の時計屋の話なんだけど...あの話、もうちょっと設定が固まっててさ。聞いてもらってもいい?」 「ああ。構わないよ。」 「時計屋と同じ商店街に喫茶店があってね、そこの息子が大学生なんだけど...何故か時計屋の恋のことを少しだけ知ってるの。それにどこで聞いたのか、皆が知りたがっている時計屋の秘密も知ってる。でも、知っているけど黙ってるんだ。絶対に誰にも言わない。時計屋の方も、喫茶店の息子が自分の秘密を知っているということも分かってる。でも、それを問いたださない。時計屋にとって、その息子との関係性がとても心地良いんだ。だから、その息子だけには少しだけ心を開いてる。こういうの...どうかな?どう思う?」 「悪くないな。そういうの。」 俊介さんはいつも通りクールに微笑んで、今度こそリビングを出ていった。

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