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第四章(7)

『……このようにハイパーウィート理論を用いた稲の生育については現在、東南アジア地域での作付けを始めており、来年にはタイ、インドネシア、カンボジアでの市場流通が開始されます。この地域での展開は昔から主流だった二期作は勿論のこと、生育スピードが従来の稲よりも倍近いデータもあることから年三回の収穫も可能であり、多くの国をさらに食糧難から救える……』  茶色の柔らかな髪がスポットライトの光で余計に輝いて見える。ゆっくりとした口調だが、それでも緊張と興奮で頬は少し紅潮していた。かっちりとネクタイを締めた首すじやこめかみが時折、きらりと光を反射している。なんでもない表情をしてはいるが、彩都は汗だくの様子だった。 「……心配したが、なんとか講演は乗り越えたようだな」  ほっとしたような宣親の呟きを耳にした二階堂が声を落として問いかけた。 「もしかしてヤバい時期だったのか?」 「ああ、新しい調合が合わなかったみたいで、ここのところ周期が狂っていたんだ。今朝は用心のために以前の抑制剤を服用させた」  宣親には彩都の発情期のほかに心配事があった。近頃の発情周期の不安定な要素。それは彩都の体内の桜斑病ウイルスに活性の兆しが見られていることだ。 「それならワーキンググループの会合に出てる場合じゃ無いだろう? いつものお前なら、なにを置いても七瀬の傍にいただろうに」  自身も彩都と付き合いが長い二階堂が不思議そうに宣親に訊ねた。 「……今は優秀な番犬が彩都の側にいるんだ。ほら、今、副音声で流れている彩都の講演を同時英訳している声、それが彩都が三ヶ月前から雇っているアメリカ帰りのポスドクだよ」  彩都が話す内容を、寸分違わずに英語に変換しているのは稜弥だ。細かいニュアンスや専門用語を学会が用意したその場限りの通訳に任せたくはないと、彩都は稜弥に講演中の同時通訳を願ったのだ。

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