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第四章(9)
「七瀬先生。すみません、ブースの引き上げに手間取ってしまいました」
彩都の後ろから聴き慣れた声が響いてきた。と同時に浮かれた気分の舞台袖が急に緊張感に包まれる。彩都の前にいた各国の研究者たちは、彩都の後ろに立つ稜弥の険しい表情を認めると、急に潮が引くようにいなくなってしまった。
「お疲れになったでしょう。そろそろ東條先生もお迎えに来る時間ですし、控え室へ戻りましょう」
「僕は大丈夫。それよりも君も同時通訳お疲れさま。他の先生方にとても好評だったよ。僕も帰ってから聴かせてもらうから」
稜弥の大きな手のひらが汗ばんだ背中に添えられると、スーツ越しだというのに彩都は急に気恥ずかしくなってしまった。稜弥に守られるように舞台袖を降りて、明るい廊下へと進んだ二人に運営スタッフの一人が声をかけてきた。
「七瀬博士、坂上博士が控え室へ来ていただきたいとお呼びです。来賓の方をご紹介したいと……」
その名前に稜弥はきゅっと眉間に皺を寄せた。帝都大学の坂上教授は四十代前半の優男で、宣親に「あいつと彩都を二人きりにはするな」と言い渡されている。どうも彼は、以前から彩都に個人的にご執心のようで、亜美が言った「帝都大のセクハラオヤジ」と同一人物だ。
「もう迎えが来ますし、先生も慣れない講演でお疲れです。どうしても今、ご挨拶しないといけませんか」
きっぱりと言った稜弥に運営スタッフが動揺を見せた。そのまま断りそうな稜弥を彩都がやんわりと押し留める。
「分かりました。ご挨拶に伺います。坂上教授の控え室ですよね?」
「七瀬先生っ」
「神代くん、坂上教授は今回の学会の主催者だから、顔を潰すようなことはできない。それに今夜の親睦パーティーだって僕らは欠席するのだから余計にね」
こそりと稜弥に耳打ちすると彩都は運営スタッフについて行く。稜弥も同行する途中で、先ほど行っていた講演でのフランス語通訳者に声をかけられた。
「先生、ちょっと用事を済ませますから、早めにご挨拶を切り上げてご自分の控え室に戻っていてください」
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