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第五章(2)
濡れた顔を拭い、トイレから出ると、すでに深夜を廻って誰もいない病院の広いロビーをひとり歩いた。彩都のいる特別室はこの病院の二十階にあるが、嘔吐している姿を誰にも見られたくなくて、一階の外来受付横のトイレまでやってきたのだ。
ロビーを横切る稜弥の目に、薬剤引渡し窓口の前の長椅子に座る一人の男の姿が捉えられた。稜弥は顔色を気取られないように表情を作ると男に近寄った。
「こんばんは。今夜は大変な夜になったね」
「他人事のように言うな。すべてお前が仕組んだことだろう、島田」
面白そうに笑いながら島田が煙草を取り出した。だがすぐに「ああ、ここは禁煙か」と言いながら、一本咥えると火は点けずに唇でフィルターを弄ぶ。
「なにをしに来た」
「そりゃ、日本農業界を背負って立つ二人の先生のお見舞いにだよ。ま、ここは東條のテリトリーだから、見舞い客でも俺はこれ以上入れないがね」
「お前が坂上をけしかけたのか」
「あちゃー、やっぱり七瀬先生に使ったのか。坂上先生は本当にスキモノでねえ。恋人と楽しみたいからって言われて渡したんだけれど、いやはや研究者ってのは好奇心旺盛だ」
「日本では認知もされていない地下ドラッグ『アルファエデン』、アルファがオメガに対して感じるエクスタシーを擬似体験できるという触れ込みの薬だ。アメリカでも依存性が問題になっている非合法ドラッグを、まさかリードマンケミカルが取り扱っているとはな」
「……さすが、薬学の権威でもあるベイン博士の秘蔵っ子だねえ。地下ドラッグの種類までわかるなんて」
相変わらず人を煙に巻く島田の物言いに稜弥はため息をつくと、ポケットから取り出したものを島田に投げつけた。その小さなパケットをおっとっと、と島田はしっかりと掴み取る。
「お望みのものだ。それを受け取ったら早くここから立ち去れ」
「そんなに邪険にしないでよ。……これが東條製薬が開発中の抑制剤か。ってか、なんでこれだけ?」
「リードマンケミカルの技術力なら、それで十分、成分解析できるだろう?」
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