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第五章(3)

「ウチの技術力を評価してくれてありがとう。でもこれを本国に持って帰って分析するのにも時間がかかるんだよね」  ブツブツと文句を言いながら島田はパケットを仕舞う。そのわずかな間にも、この男の軽口は止まらない。 「ま、今回の件はなかなか動いてくれない君にチャンスをあげようと仕組んだんだけどさ、うまい具合に俺は自分の仮説が立証されて上機嫌なわけ」 「仮説?」 「七瀬彩都がオメガだって仮説。ほんとは半信半疑だったんだ。なんてたって世界的研究者がオメガだなんて信じられないじゃん。でも、優秀なのに淫乱なオスのオメガなんて、きっとウチのボスは喉から手が出るほど欲しがるだろうなあ。ペットにして見せびらかすのには一級品よ? 君のオトウサマも七瀬先生を見て満更でもなさそうだったし」 「っ! お前っ!」  思わず稜弥は島田に掴みかかった。その時、ロビーの向こうの階段から人の足音が聞こえてきた。 「あ、巡回の看護師さんだ。ここで殴り合いになると大騒ぎだね。それに生粋のアルファに楯突こうなんて自殺行為だ。俺はこれでお暇するよ」  胸元を掴む稜弥の手を払って、島田は長椅子から立ちあがる。仁王立ちで自分を睨みつける稜弥に背中を向けて、去り際に一言、 「君のお母様と妹さん、来月に京都から東京に呼び寄せるって徳重社長が言ってたよ」  稜弥が呼び止める間もなく、するりと島田は自動ドアの向こうの暗闇へと消えていった。  しばらくロビーに立ち尽くした稜弥は、二十階に向かうべくエレベーターを待っていた。やがて一階に降りてきたエレベーターの扉が開いて乗り込むと、閉まりそうになった直前の扉のなかに一人の女性看護師が体を滑り込ませて、十九階のボタンを押した。二人きりのエレベーターが上昇を始めて、隣の看護師が稜弥に話しかける。 「どう? この格好、なかなかいいでしょ?」 「ああ、昼間のフランス語通訳者といい、君の七変化には驚かされるよ、セシル。黒髪も良く似合ってる」  ふふっと笑った看護師の瞳の色は美しいブルーだ。

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