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第五章(12)

 自覚はあるのだが、どうしても彩都のやることなすことに手を出したくなる。それは周囲にも感づかれているようで、昨日はとうとう亜美に「稜弥くんは最近、七瀬先生に付きっきりなってるわよ」と指摘された。自重しようと反省しつつ、台車の本を図書館のカウンターへと持っていき、司書と一緒に確認作業をして、やっと返却手続きが終了した。  少し蔵書を見ていこうとカウンターから中へと歩んでいると、一番端の長机にひとりで座る、坂本花菜の姿を見つけて稜弥は静かに近寄った。熱心に本を読み込む花菜は、まったく稜弥に気づく様子がない。 「坂本さん、随分熱心だね」  トントンと指先で机を弾いて花菜に声をかける。花菜はビクンッ! と大きく肩を震わせると、眼鏡の奥の瞳を溢れんばかりに見開いて稜弥を見上げた。口を小さく開いたままで固まる花菜の前の椅子を引いて稜弥は座ると、花菜の読んでいた本のページを見てさらに笑いかけた。   「なにか授業に関係のある本だと思っていたら、それはケーキ作りのレシピ?」  花菜は一気に顔を真っ赤にすると、慌てて開いていた本を閉じた。その表紙には「初めてでも失敗しない、簡単スイーツ」と美味しそうなフルーツタルトの写真が載っている。 「そうか、柳に作ってあげるんだね」  今度は耳のふちまで赤くして花菜が俯いてしまった。孝治や亜美たちがいる場所では花菜は少し稜弥に打ち解けてはきたが、未だに二人だけで話したことはない。それでもここに稜弥がいることが不思議なのだろう。 「ど、……して、神代さん、図書館に?」 「七瀬先生のお使いなんだ。そうだ、先生の車を借りてきたから、研究棟まで一緒に帰ろうか」  明確な返事はなかったが、それでも花菜はおどおどと机の上のノートやレシピ本をトートバッグに仕舞い始める。そのトートバッグのなかに見慣れたポーチが稜弥の目に止まった。色違いのポーチだが、亜美や由香里も同じものを持っている。ポーチの中に入っているのはオメガフェロモン抑制剤だ。

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