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第五章(15)

「あ、それ、七瀬先生に持って行くやつ? また先生、温室に篭ってんだ」 「おかえり、柳。やっと桜の接木が上手くいって芽が定着したから、嬉しくて仕方がないんだよ」 「そうだよな。俺も飯を食ったら花菜と一緒に見に行くよ。それと今日は花菜を連れて帰ってくれてサンキューな」  明るく稜弥に礼を言った孝治が、ウキウキとダイニングルームに消えていった。稜弥は足早に外に出ると、吹き荒ぶ冷たい風に首を竦めて隣の温室へと入り込む。明るい温室は外の季節よりも一足先に春が来たように暖かく、その一角に彩都は白衣の背中を丸めて座り込んでいた。 「七瀬先生、夕食です」  丸テーブルにトレーを置いて椅子を準備する。その間に彩都はゆっくりと立ち上がると、両手を挙げて伸びをして、イタタ、と腰をさすった。 「足が痺れた、腰も痛い、肩が軋む……」 「しゃがんだままでいるからですよ」  ゼンマイが切れる寸前のブリキのおもちゃのような覚束無い彩都の足取りに、稜弥はすかさずその手を取るとテーブルへとエスコートする。彩都はあまりにも自然に伸ばされた稜弥の手を何の気なしに頼りにしてしまったが、椅子を引かれて着席するときにその事実を思い出して顔を赤らめた。照れた顔を悟られまいと、彩都は鍋に手を伸ばしてふたを開けた。 「おいしそうだなあ。本当に吉田さんは料理が上手だね」  湯気をあげる鍋焼きうどんに、ほわっと気持ちも温かくなる。ここ数日はいつも夕飯はこの温室で鍋焼きうどんだ。でも、うどんの上の具材は彩都の栄養を考えて、由香里はいつも変えてくれている。 「できれば、みんなと一緒に食事をしていただきたいですね。ちなみに今日は豚の生姜焼きだったんですよ」 「そうだね、ごめん。どうしても苗木が気になって」  はふはふ、とうどんを啜る彩都を、稜弥はテーブルに肘をついて眺めていた。じっと見つめられているのをわかっている彩都は、余計に鍋焼きうどんに集中した。

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