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第五章(16)

 うどんを食べ終わると、稜弥が温室に持ち込んでいる電気ポットから湯を注いでお茶を淹れてくれた。まだ、首を鳴らして肩を押さえていると「肩、揉みましょうか」と稜弥に言われ、慌ててそれは辞退した。 「みんなが研究棟にいてくれて、とても楽しいよ。彼女たちのおかげで初の国産オメガフェロモン抑制剤が認可されたんだ。これからはやりたいことに向かって、まっすぐに進んで欲しい」 「彼女たちには夢があるんですね」 「吉田さんは薬学の博士号を取って、東條製薬の研究所に入りたいって宣親に相談していたよ。川根さんは外資系企業を狙ってるって言ってたな。日本以外で仕事をしたいんだって。坂本さんは絵本作家になりたいんだそうだよ。でもそれは二番目かな、本当は柳くんのお嫁さんになるのが一番みたいだ」  みんな、それぞれに未来を夢見ている。オメガであっても、宣親の作った抑制剤は彼女たちの可能性を拡げている。 「神代くんは? 神代くんの夢なんて聞いたことがなかった。君もいつまでも僕の研究室にいるよりも、もっとなにかを極めたいとか、将来を考えていたりするんじゃない?」  彩都に問いかけられ稜弥は小さく笑った。そして彩都をまっすぐに見据えたままで夢を語る。 「俺は、このままここにいたいです」 「ここに? それはうれしいけれど、君のキャリアを考えると勿体無いよ。こんな小さな研究室よりも神代くんなら、もっと君の能力を活躍させるところがある」 「俺の夢はあの写真集を手にした時から変わりません。いつか満開の桜を見上げてみたい。あの可憐な薄紅の花に触れて、匂って、そして叶うならば、桜が舞う並木路を先生と二人で歩いてみたいんです」  稜弥の意外な夢に彩都は驚いた。咲く花を愛でる。それは半世紀前までは当たり前にあった光景。でも今は。 「あの芽を出した苗木に花がつくのはいつなんですか」 「このまま上手くいけば来年の早春には植え替えをして、早くてその次の春には数個の花がつくらしい。でも今の苗木たちは花をつけられないと思う」

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