124 / 181

第七章(11)

 目の前の樹木はエドヒガンという種類の桜だ。樹齢が長く巨木になるのが特徴で、ここの桜も小さな社をすっぽりと覆い込むように四方に枝を伸ばしている。その枝の先にはまだ固いが沢山の蕾がついていて、このままの天気だとあと五日もすれば花がほころんでくるだろう。彩都は蕾を慈しむように手に取り、丹念に観察をすると、ふっとため息をついて桜の木の下に座り込んだ。  そのまま顔をあげて桜の枝越しにしばらく暮れゆく空を眺めた。大きな幹に背中を預けると静かに目を閉じて、少し頭を横向けて固い樹皮に耳を寄せる。すると、根からあがって道管を通る水の音が聞こえてくるようで、彩都はひとつ大きく息をついた。  先ほどモニターで眺めていた分析結果を思い出す。このエドヒガンは樹齢五十年ほど。長寿のこの種にしてはまだ若いのに、すでにこんなに大きく成長していて驚いた。それになによりも、五十年ということは桜落の大災禍以降に芽を出し、育ったということだ。全世界の桜はすべて枯れて絶滅したというのに、この桜だけは五十年間、ひっそりとここで生き残っていたということになる。  分析結果は東京に戻って、もっと詳しく精査が必要だ。でももう一つ、パソコンのモニターには信じられない事実が示されていた。 (あの数値が本当なら、この桜は植物界で初となる存在だ。もともと桜は突然変異が多い種だったというし、そのなかでもエドヒガンは特に変異しやすく、自家不和合性だから一代限りの種も現れやすかったらしい。それならこの桜がそうであってもおかしくはない。でも……、雌雄同株でも自身で子孫を増やせないなら、この樹が枯れたら本当に桜という種は地球上からなくなってしまう。……まさか、もしかしてほかの桜の遺伝子情報が欠損しているのは、この桜が現れることがわかっていたから……?)  不意に右頬に冷たいものが落ちてきた。考えごとをやめて、頬を指先で触れると小さな水滴がついている。雨は降ってもいないし、夜露にはまだ早い。まるで、余計なことを詮索するな、と大きな樹に言われているようで、彩都はまた固い蕾をつける枝を見上げた。

ともだちにシェアしよう!