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第七章(12)

 念願の本物の桜の花をもうすぐ見ることができる。彩都の幼いころからの夢だった。うれしさと興奮で胸がいっぱいでもおかしくはないのに、今の彩都は不安と淋しさが頭に靄を作っている。その原因はわかっている。それはこの島に来てからの稜弥の態度に起因していた。  岡山と広島の境にある瀬戸内海の小さな島に降り立ったのが今から三日前だ。数年前に無人となった島の廃校を拠点にして、鬱蒼と茂った木々に隠された学校の裏山の中腹に位置する神社の境内で、今の日本で唯一生きているであろう桜を見つけた。それから二人で調査を始めたのだが、東京を発ってからの稜弥はなぜかいつもとはその態度が違っていた。  今までは何やかやと彩都の世話を焼き、ちょっとしたことでも彩都のフォローができるようにと傍にいてくれたのに、この島に来てからの稜弥は彩都と目を合わすこともせず、一定の距離と取って他人行儀に振舞っている。さっきだって、今までの稜弥なら「夜道は危ないです。俺が一緒についていきます」と必ず言ってくれた。それなのに彩都には興味を失ったような返事にショックを受けてしまった。 (僕と二人だけっていうのが嫌なのか……)  彩都はアルファの学生たちに襲われた夜を思い出す。あの時は発情期でも無いのに、初めて接したアルファのフェロモンに当てられて一時的なヒート状態に陥った。その彩都を慰めてくれたのは稜弥だ。あれから彩都のなかで、稜弥はただの仕事仲間では無くなってしまった。 (口では何も言わないけれど、やっぱりベータの彼にはオメガの僕なんて、奇異で不快なものなのかもしれない)  そう思ってしまうと余計に胸が締めつけられる。こんな気持ちを持つのは彼に迷惑なだけだ。稜弥は優秀な男だ。もっと彼の能力を発揮できるところへと送り出す方がいいのだろう。  彩都はこの調査が終わったら稜弥にポスドクを辞めるように告げることを決めた。そう自分で決めたのに、それを考えると涙腺が緩んでしまう。もう一度、大きなため息をついて、いつまでも迎えに来てくれない稜弥のいる宿舎へと、彩都はひとり、暗い山道を降りはじめた。

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