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第七章(16)

「これが、『桜落の大災禍』の予兆……?」  ガシャン、と稜弥が懐中電灯を落とした。照らす光が無いのに周囲が仄かに明るくなっている。花々に星の光が反射して桜自身が暗闇に浮かび上がり、彩都や稜弥の姿もあらわにしていた。 「神代くんっ!」  つらそうに口元を覆う稜弥を認めて、彩都が慌てて近寄ろうとすると、 「来るな!」  稜弥が強く彩都を制した。稜弥はなにかを堪えるように自分の胸を強く押さえている。来るなと言われても初めて見る稜弥の様子に彩都は堪らず、一歩足を前に出すと今度は自分の体の異変に気がついた。 (……えっ)  急に体がのぼせ始める。ぞくぞくと背筋が震え、子を宿すための器官が収縮を始める。喉が渇き、心臓の鼓動が激しくなり、ねっとりと絡みつく匂いに意識が薄れていく。この状態は……、紛れもない発情だ。 (どうして……。発情期はまだ先なのに)  口で呼吸を繰り返して彩都は両方の肩を強く抱きしめた。今は抑制剤も使っていない。このままだとこれから数日は耐え難い欲情に苛まれてしまう。その場に座り込んで体を丸めた彩都に稜弥が近づく気配がした。自分には来るなと牽制したのにと、稜弥のスニーカーが目に入って彩都は顔をあげる。見上げた先には、彩都を覗き込む稜弥と満開の桜の花が映る。稜弥の表情は陰っているのに、その瞳はぎらぎらと輝いていて彩都はぶるりと震えた。稜弥が額から前髪に右手を差し込み、口を開いた。 「はは……、そうか、これがあなたの。この花の香りがあなたのフェロモンの匂いなんだ……」  この満開の桜の花の香り。 「ちがう、これは君の使っている香水の匂いじゃ……」  彩都の返事に稜弥は、くくくっと笑う。 「――、それならこの匂いは互いを求める匂いだ。アルファとオメガの運命の相手を求める本能の枷……」  今、稜弥は何と言った? 「神代くん……。君はまさか……」

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