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第八章(1)

 指定されたホテルのロビーのソファに座り、宣親は広げた英字新聞の影から周囲を用心深く窺った。昨日の学会が終わり、他の出席者と談笑していた宣親は、その中の一人にセシリア・アンダーソンからの招待状を受け取ったのだ。向こうから会いたいと言いながら、自分を呼び出した無礼に面白くない思いを抱きつつ、他の参加者とは帰国日を一日ずらして、この高級ホテルで相手を待っている。宣親は腕時計で時間を確認した。約束の時間はもうすぐなのだが……。 「はじめましてドクター東條。ご足労頂いて光栄ですわ」  頭の上からかけられた艶やかな声に宣親はバサバサと新聞を畳むと、いつの間にか目の前にいた人物を見上げた。そこにはなるほど、二階堂が鼻の下を伸ばすのもわかる金髪の美しい女が、赤い唇を優雅に引き上げて立っていた。 「あなたがセシリア・アンダーソン?」 「ええ、ドクター。セシルと呼んでください。早速ですけれど、実はあなたに会わせたい人がいるのです。ここでは都合が良くないので、場所を変えましょう」  挨拶もそこそこに、セシルは宣親をホテルの上階の部屋へと誘う。 「俺に会わせたい人とは? それにあなたはとても日本語がお上手だが、日本にいたことがあったんですか?」 「わたしの友人が日本人なの。言葉は彼に習ったのですわ」 「それにしてもまったく澱みがない。ここがドイツではなく、日本だと勘違いしそうだ」 「ありがとうございます。でも、これくらい、わたしたちは簡単に習得できますのよ」  ふふ、とセシルが青い瞳を細める。彼女の自信溢れる振る舞いに、宣親は少し嫌な気分になった。 (なるほど、彼女はアルファなのか)  目的の部屋に着いたのだろう。セシルは用心深く廊下に目を走らせて呼び鈴を鳴らした。中から出てきた男と言葉を交わすと「どうぞ」と宣親を招き入れる。  宣親が案内されたのはスイートルームの応接間だ。そのソファの近くに一人の老紳士が、車椅子に座って宣親を出迎えてくれた。その老紳士の顔を見て、宣親は驚きの声をあげる。

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