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第八章(4)

「……残念ながら、これは抑制剤とは呼べません」  知らずに止めていた呼吸を宣親は、ふうと大きく再開させる。そして、項垂れた宣親にベイン博士は続けて言った。 「東條さん、勘違いをしないでください。あなたの薬を否定しているわけでは無いのです。正直、このサンプルの解析結果を見たとき、私は言葉を失いました。オメガは三ヶ月に一度発情期を向かえますが、それにはオメガ特有のホルモンが影響しています。彼らは発情期の一ヶ月前からオメガホルモンの働きが活発化し、発情期になると爆発的にフェロモンの分泌を促して番う相手、つまりアルファを誘うのです。私の抑制剤はこの二つの物質の発生を抑え込むことを目的としています。しかし、あなたの薬は違う。確かにフェロモンの分泌を抑える成分もあるようだが、それ以前にあなたの薬はオメガの足りないものを補うことで、オメガホルモン自体の生成を阻害している。オメガの足りないもの、それは生まれながらに欠けている遺伝子情報。あなたの薬は彼らの欠けた遺伝子の代わりをつとめて、普通の人間、つまりオメガをベータと同じ存在にさせることが目的なのですね」  あのわずかなサンプルから薬の役割を読み解いたベイン博士に、宣親は感嘆のため息しか出てこない。 「ですからあなたの薬は抑制剤とは言わない、敢えて名付けるのならば遺伝子補填薬……」  セシルが「博士」と慌ててベイン博士に呼びかけた。目の前の老博士は急激に顔色を失い、苦しげな呼吸を繰り返し始める。 「……あなたの薬は素晴らしいが、それでも彼らの性自体を変えることはできません。ただ、あなたの理論は万人に通じる。今の抑制剤の欠点である人種の壁を取り除くことができます。私は残り少ない命をかけて、あなたと共に新たな抑制剤を作りたいと……」  ひゅうひゅうと喉を鳴らし始めた老博士の元に宣親は駆け寄ると、その痩せた手を握りしめた。 「わかりました。むしろ私の方こそ協力させてください。一緒にアルファやオメガの人々のための新しい薬を作りましょう」

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