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第八章(15)

 萎んでいく声に彩都は稜弥の顔が見えるように後ろに振り向くと、泣きそうな稜弥の短い髪に手を伸ばす。そして、優しく頭を撫でながら、 「それでも……。僕は君を嫌いになれないよ……」  先生、と稜弥が抱きしめる腕に力を込める。頬に押しつけられた稜弥の体の匂いに、彩都の心が凪いでいく。朝はまだ遠く、夜風に彩都の体が凍えないようにと包み込む稜弥は、シャツの襟元から覗いた彩都の桜斑が薄くなっているのに気がついた。 「桜斑が……」 「……不思議なんだ。この木の傍にいると、とてもいい気分になる。まるで今の君に抱かれているように心地良いんだ。……この桜はね、実は君と同じアルファ種、なんだよ」 「俺と同じ? でもアルファがいるのは人間だけのはず……」  彩都は稜弥の疑問に応えることなく、ゆっくりと瞼を閉じると深い眠りについた。意識を無くした彩都の温もりを胸に、稜弥は風に揺れる桜の花をいつまでも見つめていた。  耳をつんざく爆音に稜弥は目を開ける。上空に響き渡るメインローターの音と空気の振動に、腕の中の彩都を今一度抱きしめて、夜の明けてきた空を見上げた。巻き上がる風にエドヒガンはその枝を大きく揺らし、薄紅色の花びらが一気に舞いはじめた。踊る花びらのなかに、稜弥は長距離輸送用の大型ヘリの機影を認めた。  ヘリは大きく旋回して、この島に降りようとしている。あれはもしかしたら、島田たちリードマンケミカルの奴らが彩都を奪いに来たのかもしれない。  意識の無い彩都の口元へ耳を寄せる。前ほどから彩都の呼吸が浅い。発情期の間、眠っている以外はほとんど食事も採らずに繋がりあっていた。桜斑病ウイルスの活性の兆しがあった彩都の体には、かなりの負担になったはずだ。  ヘリの飛行音が聞こえなくなった。もうすぐここに搭乗していた者達がやって来るだろう。なにがあっても、彩都だけは守らなくては。 (あなたを絶対に奴らには渡さない。あなたを守って、母さんや恵梨香を必ず助け出す。そして何もかも終わったら、俺はあなたに……)  近づく複数の足音がする。稜弥は桜の舞う中、眠る彩都の顔を見つめて、その閉じた瞼に口づけをした。

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