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第八章(16)
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「これは、いったい……」
山道を駆け上がった宣親は、弾む息を調えるのも忘れて広がる光景に目を奪われた。後ろから追いかけてきたセシルや医療スタッフたちも皆一様に動きを止めて、信じられないといった表情だ。彼らの前には薄紅の無数の花びらが、宣親たちを包み込むように空気中を舞っている。風に舞う花の中心には、天高く枝を伸ばした大きな桜が、威風堂々とそびえていた。
はじめて眼にする光景に誰一人として言葉を発しようとしない。かぐわしい匂いが立ち込める中、開いた手のひらに軽やかに降りてきた花びらを、宣親は未だに夢のなかに迷い込んだように見つめていた。
隣のセシルが『なんて美しいの……』と呟く。これが彩都が求めていた桜の花……。
「タカヤ!」
セシルの小さな叫びに宣親は我を取り戻した。隣の彼女は桜の舞うなかを、大きな樹に向かって駆けていく。宣親も視界を遮る花に目を凝らし、セシルのあとを追う。やがてその目にはっきりと捉えたのは、桜の根元で血の気の失せた彩都を腕に抱き、手負いの獣のように目を光らせて座る稜弥の姿だった。
「彩都っ! 彩都、目を開けろっ!」
転ぶように二人に駆け寄り、彩都の名を何度も呼びながら、宣親は稜弥から彩都を奪い取る。以外にも稜弥は抵抗もなく、彩都を捕らえていた腕を離した。
稜弥に代わって彩都を抱き留めた宣親の必死の呼びかけに、彩都の睫毛が微かに動いて瞼が重たげに開かれた。
「宣親……」
「もう大丈夫だ。すぐに病院へ連れていくから」
「……神代くんは? 彼は……、どこ……?」
「――っ、お前は何も心配しなくていいっ。あとは俺に任せろ」
「……宣親、彼をゆるしてあげて。彼は悪くない、これは……ぼくら、の……」
乾いた唇はなにかを訴えようと震えている。ふたたび瞳を閉じた彩都の口元に耳を傾けて、宣親は彩都の囁きを聞き逃さまいとそばだてた。彩都は吐息と共に微かにひとこと呟いて、また意識を失った。
「彩都、お前、まさか……」
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