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第九章(6)
「ああ、良かった。人がいた。右も左もわからなくて参った。あれ? 君は日系の人?」
青年は土で汚れた顔で人懐こく笑うと、稜弥の隣に疲れたように座り込む。そして稜弥に、
「ここは何番区画? センターはどのへんかな?」
「……ここは、R28L15区画、センターはあっちにあるけど、ここからは見えないよ」
「ええっ! どうしよう、遠くまで来ちゃったな」
青年はごそごそとポケットを探り始めた。そして「あった」とスマートフォンを取り出すと、どこかに電話をかけ始める。青年が耳にスマートフォンを押し当てる前に、男の大声が稜弥の耳にまで届いた。
ごめん、とスマートフォンに向かって、青年はしきりにあやまると、この区画の番号を言って通話を終わらせた。そして、彼の行動をじっと見ていた稜弥の視線に気がつくと、うふふ、と照れ笑いをした。よく見ると青年は頬だけではなく、白いシャツやズボンも土で汚している。柔らかそうな茶色の髪にも、ハイパーウィートの穂のくずが刺さっていた。
思わず手を伸ばして、彼の髪から穂くずをつまみ取る。彼は最初は驚いて、でもすぐに「ありがとう」とさらに頬を赤くした。
「畑のなかで、なにをしてたの?」
聞くと彼は、一面の小麦のあまりの美しさに夢中になって、畑のなかを進むうちに迷い込んでしまったと答えた。日本から来た実験チームの学生の一人だろうと、稜弥は「喉が渇いた」という彼にミネラルウォーターを手渡した。彼はごくごくと喉を鳴らしたあと、
「ねえ、初めて見るアイスクリームだけど、それはなに?」
稜弥の手の中のアイスのカップを興味津々で見つめる彼に「チョコミント。食べる?」と、稜弥はカップごとアイスクリームを差し出す。
「えっ、いや、いいよ。お水ももらったし。……でも、ちょっと味見だけしたいかな」
遠慮がちに言う彼に、稜弥はアイスを乗せたスプーンを彼に向けた。彼は「いいの?」と顔を傾けると、頷いた稜弥の前でうれしそうにスプーンを口に含む。稜弥はその彼の一連の行動に、一瞬で目を奪われた。
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