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第九章(7)

 小さく開けた淡い桃色の唇から赤い舌先がちらりと見えて、ミントグリーンのアイスが口のなかに隠れた。同時に、きゅっと唇と一緒に彼の瞼も閉じられる。目を瞑った彼のまつ毛は思いのほか長くて、それが幾度か細かく震えると急に彼の瞼が開かれた。その顔を息を潜めて観察していた稜弥は、大きな鳶色の瞳の彼と目があった。 「うわっ、なにこれ凄くおいしいっ!」  アイスを味わう彼が驚きで顔を輝かせている。稜弥は彼から視線が離せずに「よかった」と曖昧に頷いた。おいしいおいしいと笑顔で繰り返す彼は、首元を緩めたネクタイを締めてはいるが、稜弥よりも年下なのかもしれない。 「そんなに気に入ったならやるよ。俺、実は苦手なんだ」  なぜかどきどきと鼓動を打つ胸を鎮めようと、ぶっきらぼうに稜弥はアイスのカップを彼に突き出した。彼は「ほんとにっ? ありがとう!」と大袈裟に喜ぶと、稜弥からカップを受け取って、あっという間にチョコミントアイスを食べてしまった。 「ああ、おいしかった。これ、日本に帰ってもあるかな」  稜弥は空っぽになったアイスのカップを彼から引き取った。にこにこと笑う彼の笑顔がやけに眩しくて、まともに見られない。すると、小麦畑の間を爽やかな風が抜けて、ふわりと嗅いだことのない甘い香りが彼から漂った。その香りのなかに稜弥は、さわり、と腰を疼かせる匂いを嗅ぎとった。 (凄く甘くていい匂いだ……。まさか、このひとは)  微笑んだまま、目の前に広がる小麦畑を見つめる彼の横顔に視線を這わせる。まるで愛おしいものを慈しむようなその表情は、稜弥の網膜にしっかりと焼きついた。  どうしてこんなに彼が気になるんだろう。さっき会ったばかりで、頬を土で汚して、人のアイスをうまそうに食って、小麦畑を見てきらきらと瞳を輝かせている彼のことが。  一緒に黙ったまま風にそよぐ金色の波を眺めた。名前も知らない彼との時間はゆっくりと流れていて、稜弥はなぜか満ち足りたものを感じた。稜弥は、ふと思い立って口を開いた。 「あのさ、名前は……」

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