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第九章(8)

 その時、稜弥の声を遮るように一台の車が猛スピードで近寄ってきた。ブレーキの音を派手に鳴らし、停まった車の後部座席のウィンドウが降りて「彩都っ!」と車内から顔を覗かせた男が彼を呼んだ。 (アヤト?)  知っている名前の響きに、どきりとする。 「お前、どこをほっつき歩いてたんだ! 早くしないと飛行機の時間に間に合わないぞ!」  隣の彼が弾かれたように立ち上がった。その時、彼のズボンのポケットから、なにかがこぼれ落ちた。 「アイスごちそうさま。広くて大変だろうけれどデータ計測、よろしくお願いします」  彼は稜弥に手を振って車に乗り込むと、土煙を残して去っていった。立ち去った彼の落としていった物を稜弥は拾い上げる。それは今回のハイパーウィート栽培実験の参加者が持つIDカード。そこに記されていた名前を見て、稜弥は目を見張った。 「……あのひとが、七瀬博士?」  想像よりも遥かに若い姿と幼い笑顔。それに彼から匂いたったのは確かにオメガフェロモンの香り……。  ほんのわずかな七瀬彩都との邂逅に、稜弥は生まれて初めて運命を感じた。 ***** 「神代が、彩都をアイス好きにした当事者だったとはな」  パイプ椅子を軋ませて宣親が呆れたように言う。しかしすぐにその表情は厳しいものに戻ると、 「だからといって俺は今回のことは許せない。今すぐにでもお前を八つ裂きにしてやりたいくらいだ。だがな、あの時、彩都が言ったんだ。『神代くんをゆるして欲しい、これは僕らの運命なんだ』ってな。……到底、容認はできないが、今回だけ彩都に免じてやる」 「俺たちの……、運命……」  焦点の定まらない瞳でその場に立ち尽くす稜弥に、宣親はもう一度座るように促した。やっとベッドへ腰をかけた稜弥に、 「お前は俺の臨床データを持ち出せと脅されていたようだが、相手はトクシゲの島田だな?」

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