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 ドゥーガルドの手から逃れることが出来た男はすぐさま席から立ち上がった。そして俺達から距離を取ると振り返って「覚えていろ! すぐにお前達の無礼な行為を訴えてやる!」と負け犬の遠吠えのような情けない虚勢を張って怒鳴った。  ゲルダさんも周囲の客も緊張した表情で固まり、ごくりと唾を飲むような空気が張り詰めていた。  するとそこに、 「ソウシ~、なんかうるさいけどどうしたの~? ボク起きちゃったよ~」  二階の部屋で寝ていたのだろうチェルノがあくびをしながら階段を下りてきた。場の緊張した空気をガン無視したその態度に俺は少し慌てた。 「あ、チェルノこれは――」 「君、あそこのウェイターの仲間か?」  俺の言葉を遮って、男がチェルノに訊いた。チェルノは美少年ではないが、黒髪好きの男のお眼鏡に適ったのだろう。その目はチェルノの黒髪を舐めるように見ていた。 「そうだけどなに~?」 「君のお仲間にひどいことをされてね、どう償ってもらおうかと考えていたところだったが気が変わった……代わりに君が今晩私に付き合ってもらおうか」  男はにやりと卑猥な笑みを浮かべると、でっぷりとした手でチェルノの手首を掴んだ。  その瞬間、チェルノの顔からスッと表情が消えた。  ……あ、これヤバいやつだ。 「――んじゃねぇよ」 「え? なんだい?」 「汚ぇ手で触んじゃねぇって言ったんだよこの芋虫野郎」  地獄の底から響くような低い声で言うと同時に、パチン、と指先を鳴らす。  すると男の指が全てぼろぼろと取れた。 「え? え? あ、ああ、ああああっ、わぁぁぁぁぁぁ!」  男は自分の手首を掴んで指先を見ながら恐慌状態で悲鳴を上げた。  手から血は出ていないものの、それは恐ろしい光景だった。床に落ちた指たちは芋虫のように、にょき、にょき、と這い回っていた。 「わ、わわ、私の指が……ッ!」  床にしゃがみ込んで指のない手で必死に蠢く指を掻き集める男を見下ろしながらチェルノはクスクスと笑った。 「指? これ人の指だったの~? 芋虫さんかと思った~」  無邪気に笑うチェルノだが、その目は冷たく、床を這いずり回る指を視線で捕らえるとにやりと目尻をしなわせた。 「芋虫さんならかわいそうと思ったけど、おっさんの気持ち悪い指なら踏み潰しても大丈夫だよね~。それじゃあ、さん、にー……」 「やめろぉぉぉぉ!」  残酷なカウントダウンをしながら、指の上で脚を振り上げるチェルノに、男はほぼ狂乱状態で床の上にスライディングして自分の指を守った。  その様子に喉を震わせて笑いながらチェルノは静かに脚を降ろした。  そして男の近くにしゃがみ込み顔を覗き込んだ。

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