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第一話

鏡に映る自分は、なんとも冴えない顔をしている。 クルクルボサボサな黒髪に、一重の三白眼。血色の悪い肌に、少しこけた頬。 二十代の頃はもっと若々しかったはずなのに、どうして三十路を超えるとこんなにも変わってしまうのか。 「……いや、年齢のせいだけじゃねぇか」 ふと、あの時の苦い思い出が頭をよぎる。 忘れたくても忘れられない、失恋の思い出。 もう三年も前の話だっていうのに、ネチっこい女みてぇにいつまでも昔の事を引きずってるから、こんな枯れたオッサンになっちまうんだろうな。 「いい加減忘れねぇと」 教員用のトイレを後にし、自分の引き出しから黒表紙を取り出す。 桜道高校の教員になって約八年。 今年は三年三組のクラスを担当することになったが、これが不運だった。 別にそのクラスが問題児だらけというわけではない。どちらかというと、良い子ばかりだ。 成績もいいし、礼儀もなっている。進路の方も、きっとなんの問題もないだろう。 けど。そのクラスにはアイツがいる。 二年の頃からずっと俺を追い回しては、セクハラしてきて。挙句の果てに俺の事をーー。 「愛してるよ、安秀(やすひで)先生」 とか言ってくる……。 「って、オイ!耳元で囁くな気持ち悪い!!後、下の名前で呼ぶな!飯塚(いいづか)先生と呼べ!」 「えぇ~というか、先生がずっとぼんやりしてるからですよ?何か考え事でもしていたんですか?はっ、もしかして僕の事を!」 「なわけあるか。言っただろ、俺は誰も好きにならねぇって」 「僕も言ったはずです。それでも、必ず卒業までに貴方を振り向かせてみせるって」 「っ……諦めの悪い奴だな。お前は」 「惚れました?」 「アホ」 早川澄(はやかわとおる)。俺の担当のクラスの生徒の一人。 小顔で、今時流行りのマッシュヘアーが良く似合う爽やか青年。部活は確かサッカー部だったか。そのおかげで体格も俗に言う細マッチョで、女子からも、そして女教師からも随分モテている。 だが。だからと言って、他の男子生徒に妬まれることも無く。寧ろ友達は多い方らしい。 見た目も、成績も、運動も、友達関係も完璧な早川澄。 けれど彼は、一つだけ間違いを犯して続けている。 それが『俺を好き』だということだ。 早川は、二年生の頃くらいから俺を口説いている。 忘れもしない。放課後の誰もいない教室。 たまたま俺が教卓に忘れ物をして取りに来た時、早川はまるでその時を待っていたかのように微笑んで言った。 「先生の事が好きです」 夕日に照らされた彼の顔は、真剣だった。 きっと沢山悩んだのだろう。沢山考えたのだろう。勇気を振り絞ったのだろう。 けど俺は「すまない」と、冷たい一言だけ残して教室を去った。 優しさは、無駄な期待を持たせてしまう。だからこれで良かったんだと、思っていたのに……。 彼は諦めるどころか、何故かアプローチがエスカレートしていった。 俺を追い回し。会うたび「好き」だの「愛してる」だの言って、高校生とは思えない触り方をしてくる。 しかも最近は、触るだけじゃない。 「先生」 「なっ、んっ!?んんっーー!!」 こうして、キスまでしてきやがる。 「ま、てっ、はやか、んっ」 俺のネクタイを引っ張って、早川は恥ずかしげもなく俺の唇を奪う。 しかもこれが餓鬼とは思えないくらい上手い。濃厚で、ゆっくりと味わうような大人のキス。 数秒程度しか重ねていないはずなのに、俺の唇はジンジンと熱を帯びたように熱く。もっと欲しいと言わんばかりに、残ったアイツの唇の感触を探している。 これが、初めてってわけでもないのに。 キスされるたび、まだ皮も向けてない童貞の餓鬼みたいな反応をしてしまう。 「ふっ。相変わらず、煙草の味しかしないね。先生は」 「……いい加減。こんなことするのは止めろ」 「なに言ってるんですか。まんざらでもない顔してるくせに」 わざとらしく俺の耳元で囁く早川の言葉に、心臓が激しく鳴った。 駄目だ。 動揺したら、気付かれる。 「な、わけあるか!!さっさと教室戻れ!!」 早川の頭に軽くチョップを入れて、背中を押しながら無理矢理教室へ向かわせる。 「えぇ、折角二人っきりなのに」なんて言って駄々をこねていたが、俺の無言の圧力に、早川は渋々教室へ入っていった。 俺もそろそろ教室に入らなければいけないのに、熱が一向に治まらない。 唇から、いつのまにか全身まで広がっていた熱は、俺の鼓動をどんどん早めて。そのたびに、触れられたところがビリビリと電気が走ったように感じてしまう。 「クソッ……大人をからかいやがって」 『まんざらでもない顔』 その言葉に、一瞬焦った自分がいた。 「っ……俺は」 俺は確実に、早川に対して特別な感情を抱き始めている。 「馬鹿か俺は。好きになったって、また同じ目に合うだけだっていうのに」 もう二度と、あんな思いはしたくない。 だから諦めなくてはいけないはずなのに。 好きになってしまった感情は、どんどん膨らんでいくばかりだ。

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