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第110話

「初めは確かに自分のせいで亡くなった先生のことで、ずっと悲しさが付きまとうかもしれない。忘れない日はないと思う。それが狙いならそれは正解ですね。でも忘れる瞬間はありますよ」 「忘れる……瞬間?」  ナイフを握っている三國の手が僅かに震えており、少しずつ首筋から離れていく。それを佐奈は認めてから、そっとそこから視線を外す。 「だって生きていくなら腹は減るし、トイレにも行く。そんなときはオレはきっと忘れてます。そして忘れる時間が多くなっていく。そんな人間のために自分の大切な命を無くすなんて、オレだったら出来ない」 「まぁでも、俺が直ぐに忘れさせてやるけどな」  突然佐奈の背後で声がし、三國も同様に驚いてそこに視線を向けた。 「優作!」 「深山」  優作は怒りを抑えた顔で佐奈を引き寄せると、直ぐに自身の背後へと佐奈を回した。 「三國……てめぇ端から死ぬ気なんてねぇだろうが」  低く唸る声。  佐奈は優作の背中に手を当てつつ、息を呑んでいた。優作の怒りが佐奈の全身に伝わってくる。  そんな優作を前に、三國はナイフを完全に下ろすとクスクスと笑った。 「そうだよ。ただ深く傷付けばいいと──」 「もういい。黙れ。自分が情けねぇわ。佐奈が傷付けられてる事も知らずにいたなんてよ。でも、てめぇもそれなりの覚悟があってしてたんだろうな?」  〝覚悟〟それは決して軽い言葉ではない。優作の鬼のような気迫と相まって、三國を追い込む。 「この始末どうやってつけるんだ?」  切り裂くようなオーラに、三國が息を呑んでいる気配が佐奈にまで伝わってきた。 「……」  どのくらいの時間が立ったのか、暫くの沈黙を破るかのように、三國が突然噴き出すように笑った。  気でも触れたのか、お腹を抱えて笑う三國。だがそれはのちに嗚咽が混じるようになった。

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