35 / 78
30-ほへーー[蔵でクラクラ]
白く曇った冬の車窓から見えるのは、延々と続く山と、川沿いの狭い畑や田んぼばかりだ。
鉄道と並行して付きつ離れつする、細い国道にはそれなりの交通量がある。
ガタゴトと不規則な音を立てて走る二両編成の列車は、電車ですらなくディーゼルらしい。
目的の駅に降り立てば、目の前にはちょろっと商店街が……。
あるのかと思ったら、狭い駐車場だけで、駅前に広がる景色は車窓からの風景とほとんど変わらなかった。
いや、暖かい車内から外に出たために、冬独特の凍てつく物悲しさのようなものすら感じる。
えーっと。
ここ、隣の市だよな。
このは市けっこう名の知れた観光地があるけど、旅行客が来るのは二つ前の駅周辺。
マイナー路線のマイナーな無人駅には古い自販機しかなかった。
駐車場の入り口付近にある、ベンチに座って真矢がオレに手を振っている。
ほっとした。
もし真矢が待ってくれていなかったら、心細くて電話をかけまくってたはずだ。
見える範囲にコンビニもあるけど、店舗は大きな川の向こう側に走る国道沿いだ。
近くに見えてしまうけど、近いと思ってうっかり歩いていけばたっぷり十分以上かかるだろう。
他には気軽に買物出来そうな店もない。
「列車で一時間ちょっとって言っても、そんな大したことなかっただろ?」
「……いやいやいやいや」
真矢は、なれてるから大したことないかもしれないけど、あまりにも車窓からの風景が変わらなさすぎて、オレは色々心配でしょうがなかった。
「真矢が平日遊んでられない理由が分かったよ」
「そう?ま、駅から家までは近いから」
そう言って指し示す方向には、和風な社屋とちょっとした工場が建っていた。
「え?アレが家?」
「いや、ウチはあの裏」
そりゃ、そうか。
どう見てもアレは会社だもんな。
民家はそこそこあるけど、どこも一軒家で広い庭か畑がある。
オレは広い畑と工場の間の細い車道を、真矢の半歩後ろをついて歩いて行った。
今日は日曜日。
初めて真矢の家に行く。
はぁ、ドキドキする。
一応、真矢の流儀にならって手土産なんかも持参した。
初めて正式にご両親に挨拶する彼氏みたいな気分だ。
いや、みたいな……じゃないけど。
でも、彼氏として紹介されるわけじゃないしな。
ちょっと顔見せるだけでいいって言ってた。
「ここ、バスも通ってないみたいだし、駅から家まで近くてよかったな」
「ああ、ウチがあるからここに駅ができたんだ」
「はっ?」
なんかサラッととんでもないことを言って、ずっと続いていた塀の切れ間に入っていった。
門と言うより車両出入り口って感じだろうか。
工場の裏手に、和風な民家がある。
かなりデカイけど、そこまで威圧的な感じじゃない。
けど、どう見ても工場とひと続きで、同じ敷地内だ。
「え?何?真矢んち、何!?」
「あれ、知らなかった?うちは造り酒屋なんだ」
「えっ?へえ……。えっ!? じゃ、ここ、真矢んち?」
「……?そうだよ?俺の家だと思って質問したんじゃないのか?」
もっともな事を言われて口ごもる。
けど、ちょっと、混乱している。
世の中みんな会社員の家庭だって思ってたわけじゃない。
フー太んちだって魚屋だ。
住んでるのがちょっとのどかなトコって聞いてたから、農業とかしてんのかな、なんて思ったりもしたけど、こういうのはちょっと想像してなかった。
でも、真矢は農家の息子って雰囲気でもないし、造り酒屋の方がしっくりくるかもしれない。
昔からこの場所で造り酒屋を営んでいて、その関係で駅ができたそうだ。
以前はもう少し栄えていたみたいだけど、川のむこうにキレイに整備された国道ができてから、だいぶ様子がかわったらしい。
とはいえそれも真矢が生まれるずっと前の事で、栄えていた時代なんて想像もつかないらしいけど。
今じゃこの周辺が賑わうのは、年に数回真矢んちの酒蔵で新酒だとかのイベントをする時くらいらしい。
左手が工場で右手が母家、そしてそのまま進むと母家の奥に蔵がいくつか並んでいた。
そのうち二つは寝泊まりできるように改装してるらしい。
でも、今は住み込みで働く人もいないから、母家のすぐ横の蔵を真矢の部屋として使ってるそうだ。
本当は真矢のお兄さんも使うはずだったのに、夜に蔵と母家を行き来するのが怖いとかいう理由で、蔵一つを真矢が独り占めできているらしい。
お兄さんって……格闘技好きで結構イカツイって話聞いてたのに。
「お兄さんってビビリなのか」
「ああ、そのくせお化け屋敷とか大好きで、怖がって無理矢理つき合わせた俺にすがってチョークスリーパーかけてくるからタチが悪いんだ。『こんどからスリーパーホールドにするから』とか言われても、嫌だろ?」
「そりゃ、困りモンだな」
どっちにしても絞め技だ。
お化け屋敷ってのはカップルで行って『怖い!』なんて抱きつかれるためにあるようなモンだろ。
イカツイ兄貴と場外乱闘するなんてゴメンだ。
「真矢は怖いモンとかないのか?」
「…………。教えない」
いま、一瞬よその畑睨んでた?
なんだよ気になるよ。
「サヤちゃんは、何が怖い?」
「あーー。交通事故」
「…………それは、怖いね」
「ああ」
ちょっと真矢が気遣うような空気を出す。
そして、オレの手を握って……けど、それ以上何も聞かなかった。
玄関ではなく、庭を通って居間の方に案内された。
テラスのような板張りがあって、大きなガラス窓がある。
勝手口がすぐそばにあるけど、テラスにサンダルがいくつか置いてあるってことは、この窓から出入りすることも多いんだろう。
真矢がカラリと大きなガラス窓を開ける。
室内を覗くと、心の準備もなく、いきなり真矢の両親と対面してしまった。
真矢の父親は細いがかなりガッチリしてる。
そして母親はちょっとふっくらしてるけど真矢にそっくりで上品だ。
「外出準備中じゃね?」
真矢の父親はネクタイを締めてる最中で、母親はバッグをテーブルに置こうとしていた。
「ああ、今から出かけるとこだから」
父親がオレを見て、何故か顔を引きつらせた。
「見てわかるだろうけど、父さんとお母さん。それから、こちら話ししてた、サヤちゃん」
「あ……はじめまして有家川 聖夜 です」
あわてて窓の外から、室内にいるお母さんに手みやげを渡した。
あらあら!とお母さんが愛嬌のあるニコニコ笑顔を向けてくれる。
けど、いろいろ話しかけてこようとするのを遮って、真矢が急がないと時間がないだろうと外出を促した。
「兄さんはよくわからないけど出かけてて、妹は部活関連の行事でいないんだ」
「あ、そう」
「じゃ、俺たち、蔵の部屋にいるから」
母家にも上がらず、超あっさり両親との対面は終わった。
こういうのは苦手だろうとオレを気遣って、両親の出がけのタイミングを狙ったんだそうだ。
もし時間に余裕のあるときだったら、お母さんの話からなかなか逃げられない可能性もあったらしい。
話しやすそうなお母さんではあったけど、やっぱり初対面でガンガン話しかけられるのはちょっとツライ。
真矢の気遣いがありがたかった。
真矢の両親と会うっていうんで、今日は妙に緊張していた。
高そうな掛け軸とかのある座敷みたいなところに通されて、正座でご挨拶とかさせられるんじゃないかって想像までしてた。
それがこんなにサクっと終わって、すっかり肩の荷が下りた気分だ。
真矢の『きちんと感』は、ガチガチな家で厳しく躾けられたせいなのかと思ってた。
でも、素朴で優しそうな両親のもとで、日常の生活の中、当たり前の事として身に付いたものみたいだった。
ほんのちょっとの対面だったけど真矢の両親に会って、真矢とオレの育ちの違いってヤツを逆にすんなりと受け入れられた。
もう、あとは真矢の部屋行って、夕方までたっぷりイチャイチャするだけ。
どんな部屋なのか見るのも楽しみだ。
真矢が自室にしている蔵へと向かう。
重そうに見える蔵の大きな扉が、小さく軋む音を立てて開く。
けど実際はそう重くもないらしい。
正面に衝立 はあるものの、いきなりフローリングの部屋になっていて、かなり広く、思ったよりも明るい。
木戸とガラスの二重になっている小さな窓がいくつもあり、しっかり光を取り込んでいた。
蔵は二階建てになっていて、入口すぐの壁沿いに、二階に続く木製の階段があった。
一階の部屋には、クッションソファと広いテーブル。
手作りの本棚と通学用のカバンがいくつか。
ガランとしていて部屋の四割くらいしか使ってない。
完全に勉強のための部屋なんだろう。
テーブルは座敷にあるようなデッカい座卓で教科書や資料なんかが教科ごとに平積みされている。
もしかして真矢……めちゃめちゃ勉強大好きなのか?
真矢はそちらには足を向けずに、そのまま階段を上がっていった。
こちらがいつもくつろいでいる部屋なんだと一目でわかる。
まあ、下の部屋は衝立 があるとはいえ、扉を開けたら中がほぼ丸見えだしな。
家具や小物は茶やベージュなど落ち着いて暖かみのあるカラーのものが多い。
ソファがあり、セミダブルのマットレスがそのままベッドとして使用されていた。
雑誌や本がソファの上に適当に置かれてあったのが意外だ。
制服もちょっと雑にハンガーにかけられている。
散らかってるとまでは言えないが、それなりに生活感がある。
もっと神経質なタイプなのかと思ってたので、ちょっと安心した。
真矢がウチに来た時に『すぐにイチャイチャしてくれなかった』なんて不満を持ったけど、オレもこうやって真矢の部屋を興味深く見てる。
真矢の事を知れるのが嬉しくって浮かれてる。
真矢もオレの家に来たとき、同じような気持ちだったのかもしれない。
ソファの前の小さなテーブルに、真矢が母家から持ってきていたコーヒーを置いた。
「真矢は、ここで録音してるのか?」
「そう。蔵だからね。この……窓のガラスと木戸を閉じればかなり防音が効くんだ」
そういってパタパタと木戸を閉めてみせる。
「わ……暗っっ」
「そうだね。昼間でもかなり暗くなっちゃうけど、夏冬の温度調節にはかなり役立つんだ」
明かりをつけてから最後の木戸を閉める。
「ほら、外の音も、もうほとんど聞こえないだろ?」
「へぇ……すごいな」
「録音機材はそんな大したもんじゃないけど、これだけ防音がきいてるから……」
オレの顔をみて、真矢が言葉を途切れさせた。
「サヤちゃん……ふっ……その顔……」
「なんだよ」
「何でもないよ」
スッと近づいて、正面から腰に腕をまわして抱き込んでくる。
そんな……顔に出てたんだろうか……。
……てか、この真矢の態度を見る限り、モロに出てたんだろうな。
真矢が戸を閉めるたび……なんというか、その……期待?
つか、するだろ?
恋人と二人きりで、どんどん戸を閉じて暗くされたら『そんなつもりじゃなかった』なんて言う方がおかしい。
……けど、マジでそんなつもりじゃなかったんだろうな、真矢は。
でも、よかった。
オレが『マジでそんなつもりじゃなかったんだろうな』ってわかってるように、真矢も『オレが、もうすっかりその気になっちゃってる』ってわかってくれてる。
真矢がちょっと背伸びをして、ふれるだけのキスをした。
オレがかがんで応えようとすると、軽く腰を押してベッドに誘導される。
こういうところ、すごい手慣れたカンジするんだけど……。
いや、こういうのは紳士的でスマートと表現するらしい。
乙女の憧れとかいうやつ?
多分、真矢的には部屋に来てすぐ……なんてありえないんだろう。
それでも、オレの気持ちを優先してくれる。
こんな、ほんのちょっとしたコトで、普段のオレから、真矢に甘えるオレに切り替われるんだ。
ともだちにシェアしよう!