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番外編:息子が恋をしました1
「俺、好きな人が出来たんだ」
次男の真矢がそう言ったとき、幻聴ではないだろうかと思った。
真矢は俺に似て無口で、自発的に話しかけてくることすらまれだ。
「そうか」
少しほっとした気持ちで、そう答えた。
それから毎日、真矢がまるで独り言のように、俺に話しかけてくるようになった。
「可愛い笑顔を向けてくれたんだ」
「授業中、よく居眠りしちゃうけど、その寝顔が天使みたいなんだ」
「最近、ちょっと避けられてる」
「話をするのはいつも電話ばかりなんだ」
好きな子のことを語る真矢に、心を込めて「そうか」と返事を返す。
ささやかな親子のコミュニケーション。
それまで目線だけでも意志の疎通は出来ていたし、妻の艶子 ちゃんから真矢の様子を聞いていた。
けれど直接言葉を交わすというのは、また違う満足感がある。
真矢は妹の千草のように意見を強要しないので、話しやすいというのもある。
好きな子ができたという報告をしてくるまでは、あまり人に関心がなく、いつもぼーっと風景を眺めているような子で、そのうち桜の木と結婚するなんて言いだすんじゃないかと心配していた。
人に関心がないとはいえ、別に冷たいわけでもなく、ぼーっとしているからと言って感情が希薄というわけでもない。
中学生のころだっただろうか。
従姉の美奈ちゃんに遊んでもらったときに、千草と一緒にフリフリの着物ミニスカートのような可愛らしい衣装を着せられていた。
女装のようではあったけど、よく見ればショートパンツを穿いてはいた。
けれど不本意なのか、恨みがましい目でじーーっと一点を睨む。
感情は比較的素直に出す子なのだ。
睨みながらも、いわれた通りにポーズをとってみせ、写真撮影に応じる。
かなり付き合いはいいほうだろう。
小さな頃から他の男の子より声が低く、長男の優 に比べ 精悍な顔つきだったので、男らしいイメージを持っていたが、写真に納まりこちらを睨みつける真矢は、妹の千草とふたり、クールな姉妹のように見えた。
千草と艶子ちゃんに、何枚かそんな写真を見せてもらったが、真矢はいつも恨みがましい目で睨んでいた。
それでも可愛らしいと思ってしまうのは、親の欲目というものだろうか。
それから、また何か別の遊びを美奈ちゃんが始めたようで、変わった衣装の写真を撮る姿を見かけることはなくなった。
艶子ちゃんにどうして写真を撮らなくなったのかを聞いたら、
「美奈ちゃん、コスプレやめちゃったみたいなの」
と、教えてくれた。
ああ、あれは、コスプレだったのかと、得心がいった。
美奈ちゃんはオタクな趣味があり、同じくそういった趣味の千草に色々教えてあげているようだ。
艶子ちゃんも、二人の話を聞いているうちに、それなりに詳しくなってきた。
真矢はあまりそういったことに興味はないようだが、丸め込まれ色々付き合わされているらしい。
しかし、コスプレというのは、もう少し手作り感満載なものだと思っていた。
美奈ちゃんは凝り性で、何でも高みを追求するようなところがある。
だから、あんな本格的な衣装とイメージ写真が撮れたんだろう。
真矢と千草が和風ミニドレスで古い大樽の中に座っている写真は本当に愛らしく、まるで酒の妖精のようだった。
本当ならポスターにでもして、酒蔵の広告に使いたかったくらいだ。
真矢は高校に進学してだいぶ男らしくなったが、正直、まだミニスカートくらい余裕でいけるのではないかと思っている。
しかし、父親としてはミニスカートで酒蔵の広告ポスターに出てくれとは言いにくい。
悩ましいところだ。
真矢はそれまで美奈ちゃんに遊んでもらってばかりで、家に友だちを連れてくるようなことはなかった。
けれど、好きな子ができたという報告を受け、少ない言葉で生き生きと語られる真矢の『好きな子』の話を聞いているうちに、いつか直接会えたら……と思うようになった。
それもまた親としては当然だろう。
真矢の好きな子は、明るく元気で、だけど寂しがりやな子らしい。
背は高く、スタイルも良くて、ちょっと目つきは鋭いけど、笑顔が可愛らしい。
髪の毛は少しウェーブがかっていて、元から明るいけど、さらに少し色を抜いていて、光に透けると金髪と見間違うくらいの茶髪のようだ。
真矢がそんな派手なタイプを好きになるなんて意外だった。
好きになるならきっとコケシか博多人形のようなタイプだろうと勝手に想像していたのだ。
その子は勉強にはあまり興味がないようで、成績も芳しくないらしい。
男友達が多く、夜によく遊び歩いていて、制服も少しオシャレに着崩しているそうだ。
だからといって、不良というほどではない。
艶子ちゃんに教えてもらったのだが、リア充とか、イケてるグループとか言うやつだそうだ。
俺が高校生の頃も、イケてるグループにあたるであろう奴らは確かにいたが、きっと今の子達よりはずっと不良寄りだろう。
俺はなぜだかそういう極めて不良に近い連中に一目置かれていた。
今の高校生は、俺達の頃よりはずっと人間関係の濃淡がはっきりしていて、つながる人間とつながらない人間とがキッパリ分かれているような印象を受ける。
真矢がそんなつながりの薄い派手なタイプの子に近づくことができるだろうか?
ほとんど話したことがないとも言っていた。
それでも数える程しかない会話の中で、実際話した内容を教えてくれることもあった。
「今日、俺が『まだ、出してないよな』って言ったら可愛い声で『あー。コレな』って、返事をしてくれたんだ。久しぶりに話ができて、すごく嬉しかったよ」
おそらく提出書類か何かに絡む用件だろう。
真矢は明るい調子でその時のことを言っていたが、好きな子の方は、会話だとは思ってなさそうだ。
返事がなんとも雑過ぎる。
真矢は本人が思っているよりもずっと無口だ。
下手すれば、相手は真矢が声をかけたということすら認識していないかもしれない。
◇
真矢が、かつてない強い調子で、
「サヤちゃんが、俺にサインを送ってくれてるみたいなんだ!」
と、言ってきた。
サヤちゃんというのが、真矢の好きな子の名前に違いない。
先に外見特徴を聞かずにサヤちゃんという慎ましく可憐な印象の名前を聞いていたら、やっぱりコケシや博多人形のイメージを強くしていたことだろう。
それからしばらくは、駆け引きに翻弄されているようだったが、
「実はね、昨日、サヤちゃんと電話で話したんだ」
と、静かに喜びをかみしめるように報告があった。
どうやらやっと連絡先を入手したらしい。
同じクラスだというのに、携帯番号を入手するのに随分と時間がかかったようだ。
この調子でいけば、仮に上手くいったとしてもお付き合いなどいつになるかわからない。
しかし、真矢は電話で何を話すのだろう。
無言を通せば、相手が不安になって切られてしまうかもしれない。
…………。
いや、俺だって普段は無口だが、艶子ちゃんとはよく話す。
真矢も同じなのかもしれない。
それからしばらく、真矢の話の内容がほとんどサヤちゃんと電話をするか、しないかの報告ばかりになった。
「昨日、電話でのサヤちゃんが、すごく可愛かったんだ」
とか、
「今日、サヤちゃんと電話するんだ」
とか、
「今日も明日も連絡できないけど、明後日は、また可愛い声を聞かせてもらえる約束なんだ」
とか、そういったことだ。
進展しているのかどうかも全くわからない。
たまに、
「今日も居眠りしてたけど、俺と目が合うと、恥ずかしそうに目をそらす様がすごく可愛かったんだ」
といった内容も混じる。
真矢は『サヤちゃん』が、可愛くてたまらないようだが、電話の回数や、目をそらすなどの行動から判断して、サヤちゃんは真矢を避けているのではないかと感じられる。
とはいえ、全く関係に変化が無いというわけでもないらしい。
たまに、真矢が遠い目をして、
「サヤちゃん……ほんとに、素直で可愛すぎるんだよ」
などと、押し殺してもつい溢れる嬉しさをにじませることもある。
そのたびに、手ぐらい握ったのか、キスくらいしたのかと想像をするが、どうやらただ電話で話をしているだけのようだ。
高校生が好きな子の手も握らずに、電話だけで耐えられるものだろうかと思っていたら、だんだんと真矢の表情に明るさと暗さの波が出てくるようになった。
恋に不安はつきものだ。
『サヤちゃん』は、友だちも多く、モテるタイプだと言っていた。
初恋に違いない真矢は、手玉に取られているのかもしれない。
艶子ちゃんが言っていたが、千草も写真で『サヤちゃん』を見たことがあるらしい。
「無理目の恋だから、生暖かく見守ってあげてよ」
などと偉そうに言っているようだ。
たしかに、真矢の恋は見守ることしかできないが、千草の恋の相手は常にマンガのキャラクターで見守る必要すらない。
はじめは高嶺の花のように語っていた『好きな子』が『サヤちゃん』として、真矢の身近な存在になったのだから、ほんの少しだが進展はしている。
これからこの恋が、上手くいこうと片想いで終わろうと、きっとその経験は真矢のためになるだろう。
けれど、だんだんと真矢の不安定さが増し、ついに、
「喧嘩……というか、一方的に怒りをぶつけてしまったんだ」
などというという言葉が出てしまった。
真矢と喧嘩という単語がどうにも不似合いで、小学校低学年の頃の兄弟喧嘩くらいしか思い浮かべられず、それが真矢が大好きな『サヤちゃん』とのことであると理解するのに少し時間を要した。
「そうか……」
俺の返事を噛み締めるように、何度も小さく頷く真矢が、少し大人になったように感じられた。
普通ならば、一方的に怒りをぶつけるなど、子供じみた行為だ。
だけど真矢は、自分の行為が子供じみているときちんと認識し、反省し、乗り越えようともがいている。
そんな真矢に成長を感じ取ったのだ。
数日後、真矢が、
「俺、身の程知らずかな……?」
と、急に言い出した。
「そうか?」
何でそんなことを言い出すのか。そんな気持ちで答える。
どれだけ高嶺の花に感じられたとしても、所詮は同級生との恋。
真矢が通う高校があるのは、高貴なる身分の方が住まうはずもない地方都市だ。
身の程知らずなどということがあるずはない。
俺の言葉に、真矢はほぉっと息をついて、肩の力を抜いた。
母家から自室に戻る真矢の背中を見送る。
…………もしかすると『サヤちゃん』に何かを言われたのだろうか。
天使のような子だと言っていた。
本当に天使ならば、それに恋をした真矢は身の程知らずかも知れないが、『天使のような子』が自分に好意を寄せる相手に身の程知らずなどと言って貶めるだろうか?
真矢がホッとしたのは、実は『サヤちゃん』が天使のような子ではないと気付いて気が楽になったからか?
いや、何か決意を固めたようにも見えた。
…………。
もしかして…………千草か?
いかにもあの子が使いそうな言い回しだ。
自分が『生暖かく見守ってあげてよ』などと言っていたくせに。
即刻艶子ちゃんに確認してもらい、千草のせいだったならば厳重注意をしなければ。
問題ありならば、千草が土曜日の部活に持って行く弁当に、粕漬けをたっぷり入れるよう頼んでおこう。
きっと、艶子ちゃんお得意の可愛らしい弁当のおかず全てにニオイがうつって、何とも言えない味の不況和音に自分の罪を感じることだろう。
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