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嫉妬のあとさき1

mio’s cafe  Vol.13 桑原澪×小田島碧 恵比寿の午後、太陽はぽかぽかと優しい。私の愛するカフェへ向かう足取りが軽いのは、春先の陽気のせいだけではなかった。今回お招きした小田島碧くんとは、実は結構ご縁があって、昨年もドラマでご一緒している。いつも自然体な彼は、いつでも「自然」の色を使い分けるところのある、ちょっとミステリアスな人。久しぶりに会った時いつもそうするように、手を振る私に小さく手を振り返してくれた彼には、ついさっき観たばかりの映画「レンアイ戯曲」に存在していた野心的で気難しい青年の気配は、きれいさっぱりなかった。 インタビュー/桑原澪  桑原 「初対面のこと、憶えてる?CSドラマだったよね」 小田島 「うん。十八…十九…十八歳だったかな」  桑原 「そのくらい、と」 小田島 「そのくらい。澪さんの弟役で」  桑原 「そうだ、弟だ。今いくつ?二十四?いいなあ…怖いなあ…」 ――落ち込むインタビュアーに代わり、編集部が進行します。現在映画を中心に活動なさっている小田島さんは、戸村亮二監督を始め気鋭の映画監督からの評価も高い俳優さんです。が、古い付き合いである…  桑原 「古くないよ、長いのよ」 ――長い付き合いである桑原さんと小田島さんとが、まじめに語り合う機会はかつてありませんでした。そこで今回は、公の場でまじめに語っていただきます  桑原 「はい。ではまじめに、「レンアイ戯曲」の話をしましょう。一つの舞台作品を中心に、女優、俳優、脚本家、の関係を描いた映画なわけなんだけれども…芸術と恋愛を描いた、ただ描いただけではなく、ポップに描いた。と、言ってしまいましょうか。あのね、碧くんは、自分自身をアーティストだと思ってる?」 小田島 「…俳優でありたい、とは思ってます」  桑原 「俳優とアーティストは、別物?じゃあ、あなたにとっての「アーティスト」とは?」 小田島 「創造者であり、表現者である人。両方を兼ね備えた…という意味ももちろんあるんですけど、創造した物を表現する人、というか。創るだけじゃなくて、表現する人。俳優は、少なくとも僕は、表現はするけど創る人ではないですね」  桑原 「その理論で言うと、役柄の脚本家は、やっぱりアーティストの分類に入るよね。その分かれ目、面白いなあ。じゃあ、恋愛の話」 小田島 「え?もう話変わるの?」  桑原 「変わってないよ、ちゃんと続いてるの。芸術…っていうか、お芝居って、理解と思い込みだと思うんだけど」 小田島 「うん」  桑原 「碧くんは、断然、理解の人だよね。その役と向き合って、考えるでしょ?」 小田島 「あ。はい、それは、そうかもしれません」  桑原 「私は、自分のことを思い込みの人だと思ってるんだけど。向き合うんじゃなくて、憑依しちゃうのね。すぐなりきっちゃう。一度なりきっちゃうと、なかなか抜けられない」 小田島 「その方が…なんて言うのかな、高度だと思いますよ」  桑原 「いやー、単に性格の表れだと思うなあ(笑) それでね、芸術は恋愛、って言うじゃない?」 小田島 「…ん?理解と思い込み、って意味で?」  桑原 「うんうん。碧くんは、やっぱり、理解の人?」 小田島 「いや、衝動。衝動的」  桑原 「おお。言い切った」 小田島 「(笑) あー…でも、考える。スタートダッシュ切っちゃってから、走りながら考えてる。そんなもんじゃないですか?」  桑原 「私はねえ、信じちゃうんだよね。自分のことも、相手のことも」 小田島 「信じるか信じないかを言うなら、それは、信じてるけど」  桑原 「じゃあ、何を考えちゃうの?」 小田島 「………何だろう」   「何なんでしょう」  長く続いた沈黙を引き取り、身を乗り出して励ますように言うのは、この席ではインタビュアーの立場である先輩女優。桑原澪(くわばら・みお)の大きな目が、通常以上にくりっと見開かれていて、深い深い黒を湛えている。碧はその強い視線からわずかに目を逸らし、顎先をつまみながら思考をめぐらせた。  映画や舞台、ミュージカルなど、広義の俳優をピックアップする月刊誌でのインタビューだ。誌上で対談コーナーを持つ女優から最初に声が掛かったのは、昨年、彼女が主演を務めるドラマ撮影の最中だった。その時持ち上がったインタビューの話が、秋が終わり、冬が過ぎ、春になってようやく実現しているのだが、特別難航したからではない。スケジュール、という言葉と実体に瞬発力はなく、また深遠たる都合も存在する。五月下旬に封切になる映画は、あるCM監督の初監督作品で、注目作と位置づけるのにふさわしいという発信側の判断。  澪の、というより多くの女性インタビューアの理論展開において、恋愛とはテーマというよりテーゼである。今回に限れば映画のテーマでもあるとはいえ、同時に、オンナのカンに裏打ちされた質問でなければ、こんなふうにひどく本質的な部分を掘り出されてしまったような困惑は感じないだろう。たとえ何も困ることがなくても、だ。  ペン先を手帳に押し当ててこちらを見ている編集者もまた、女性である。彼女たちを満足、あるいは納得させなければ、解放されない雰囲気。時間を刻むボイスレコーダーの画面を読みながら、答えを探す。 「恋人に対する感情って…」  こぼれ出た言葉に引き上げられるように、碧は目を上げた。 「恋愛感情だけじゃ、ないでしょ?もっと…ごちゃごちゃ」  両手で空気をかき回すジェスチャーに、澪が力強く頷く。 「うんうん、だいじょぶ、わかる」 「なんて言うか――なんて言おう。そこでせめぎ合ってしまうのかもしれない。自分で思ってる以上に、恋愛感情だけで完結していたいのかな」 「理想が高いの?特定の相手にってわけじゃなくて、恋愛に対して」 「願望が強いのかも」 「なるほど。どっちにしろ、碧くんの恋人は幸せね」 「…そう?」 「そう」  澪は前髪の毛先をつまみ、編集者を振り返って笑った。 「しっかり繋げて編集してね」 「あはは、もちろんです」  その後、具体的なストーリーに話題が移り、予定時刻を少しオーヴァーして対談が終了する。撮影スタジオを兼ねた会議室に仮設されたカフェも、それと同時に閉店となる。店主役を終えた澪が立ち上がりながら、こちらに顔を向けた。 「碧くん、今夜予定あり?」 「あり。戻って撮影」 「なんだー、残念。ごはん一緒に行こうと思ったのに」  少女っぽく頬を膨らませる。八歳年上の彼女の、この少しおっとりした雰囲気が、後輩を必要以上に畏まらせたりしないのだった。 「また誘ってください」 「絶対だよ?電話するね」 「うん」  ひらひらと何度も手を振る澪に、一度手を振り返し、第二会議室を後にした。  ビルを出ると、夕暮れ前の、一瞬景色を蒸発させてしまうような強い太陽の光が目に入る。  ゴールデンウィークも終わり、街はいつものサイクルを取り戻している。歩道の反対側を歩く人を眺めるともなく見送り、キャップの縁を引き下げると、碧はゆっくりと歩き始めた。  本来、単なる行政上の区画。特別な思い入れのある街ではなかった。  ある写真家がこの街に住み、いくつかの作品を撮ったことで、それが少し変わった。先月中旬に出版された作品集は、いつまでもリュックの中から出すことができないでいる。今も、重量の一部となって両肩を押さえていた。異邦人にとっての地図のような存在かもしれない。彼の作品タイトルの多くは撮影地点と時刻を示しただけであり、その端的なヒントたりうる文字列が、碧に追体験をそそのかすようでもあった。  元凶の写真家は現在、別の街へ移り住んでいる。  ポケットから携帯電話を取り出して、時計を見る。寄り道に避ける時間は、移動も含めて一時間。そこから実時間を導き出す癖が、いつの間にかついてしまった。

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