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第4話

大学から家まで、徒歩と電車を使って40分ほどかかるのだが、タクシーを使うといくらくらいかかるのだろうか。 車窓に映り行く風景を眺めながら、圭はようやく現実的な問題に気付き、バッグの中から財布を漁ろうとあくせくし始めた。 「どうした?」 「いや、俺タクシー代払うほど金持ってるかなって」 「心配ない。俺がカードで払っておく」 「……」 そうだった、加納恭一郎とは名家の生まれで、金銭的に困ったことがないという話を聞いたことがある。 そんな名家の坊ちゃんが、どうして幼少の頃から自分や姉の聖と遊んでいたのだろうと、今更ながらに疑問に思う。 だが、踏み込んで問う気にはなれなかった。 恭一郎はずっと圭や聖のことを名前で呼んでくれていたが、ここ1年くらいでそういう呼び方をやめてしまったからだ。 なぜ、と訊くのは簡単だが、どんな返答が返ってきても受け入れられるかと言われると自信がない。 だから敢えて訊こうとは思えない。 車は幸いなことに渋滞に引っかかることなく、順調に路上を滑るように走っている。 信号にも邪魔されず、あと10分ほどで圭の自宅マンションが見えてくることだろう。 「1万円を超えたか……」 不意に恭一郎が呟いたので、圭も身を乗り出してメーターを確認する。 「悪ぃ……後で返すから」 「気にしなくていい」 それから10分後、圭のマンション前にタクシーが到着し、恭一郎は財布からカードを出して会計を済ませてくれた。 「サンキュ……もうここまででいいよ。明日から1週間くらいはどこへも出られねーけどな」 「食事の世話は誰がするんだ?」 「ああ、心配ねーよ。姉ちゃんが来てくれるし」 「っ!?」 恭一郎は圭の姉の容姿を思い出し、息を詰めた。 最後に聖と会ったのは1年くらい前のことだっただろうか。 「そうか、葛城先生が来てくれるのか。なら心強い」 「そうそう、だからあんまり心配すんなって……っ!?」 圭は突然背後から腕を掴まれ、驚いて振り返った。 視界の先にいるのは、顔も名も知らない若い会社員と思しき人物だった。 「ねぇ、キミ、いい匂いがするね……よかったらさ……僕とその……エッチなことしない?」 「は……?」 「葛城!」 男の手を恭一郎が振り払って圭の腕が少し軽くなったかと思えば、今度は逆の腕に痛みを覚える。 何がどうなっているのか、サッパリ分からない。 「葛城、足を動かせ!」 圭の匂いに引き寄せられているのは、会社員だけではなかった。 マンションの前を通り過ぎる者達が好奇の目を向け、中には会社員に続けとばかりにわらわらと寄ってくる者達がいる。 「な、なんだよ……なんだよ、これ……?」 圭の心にようやく恐怖が生まれてきた。 甘い匂いを発することで見ず知らずの他人を引き寄せたことなど、今までのヒートではなかったことだ。 「なぁ、恭一郎、なんでこんな……俺、どうなるんだ……?」 無言で背を向ける恭一郎に語りかけるが、相手は押し黙ったままこちらを見ようともしなかった。 「部屋の中にいても、安全じゃねーのか……?ただ寝てるだけでも、誰かを吸い寄せちまうのか……?」 恭一郎は圭の怯えを背中で聞きながら、これからどうすべきかをひたすら考えていた。 聖の職業は医師で、圭がヒートになったと聞けばここへ来てくれるのだろうが、それも夜になってからだろう。 「恭一郎……俺……怖ぇよ……」 そうだろうなと、恭一郎も思う。 自分だって怖いと感じているのだ、圭がそう感じないはずがない。 「Ωって……性欲の奴隷って言われてるけど……まさか、こんな……」 恐らく圭はΩとして開華してしまったのだろう。 これまでのヒートはひな鳥を成鳥へと育てるためのもの、これからのヒートは成鳥を羽ばたかせるためのもの。 そんな話を恭一郎はΩに関する文献で目にしたことがある。 「恭一郎……何か言えって……」 「部屋は何号室だ?」 「501だよ……ま、何も言えねーよな……卒業も、できねーかも……」 圭の心が、たちまちのうちに暗雲に覆われていく。 涙という名の雨が降り出すのも、時間の問題かもしれない。 それにしても、恭一郎は一体何を考えているのだろうか。 圭が泣きついても、無言を貫いている。 まるでΩに関わりたくないと言われているようだなと思った。

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