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第10話

圭が眠りに就いてちょうど1時間後、恭一郎はボストンバッグと共に圭の家へと戻ってきた。 入れ替わりに、聖が部屋を出ようと玄関へ歩み寄る。 「圭ちゃんをよろしくね」 恭一郎の顔を直視できない聖は、俯いて弟を託す。 「はい」 静かな声が聖の耳朶を打った。 同時に断ち切ったはずの未練が心の表面に浮かび上がるが、聖はそれを無視して玄関から上がってきた恭一郎とすれ違って靴を履き、圭の部屋を後にするのだった。 恭一郎が圭の寝室にそっと足を踏み入れると、相手は規則正しい寝息を立てながら眠っていた。 抑制剤が効いているのと、抑制剤と一緒に処方されている睡眠薬のお陰だろう。 それにしても甘い匂いだなと、恭一郎はポケットからハンカチを取り出し、鼻を覆った。 正直、この匂いに煽られて下半身が反応しつつあるのだが、いつまで耐えられるだろう。 1週間ここにいる中で、圭に手出しをしないという保証がないのが心もとない。 「恭一郎……?」 不意に名を呼ばれてビクリと身体を揺らし、圭の顔に目を向ける。 彼はベッドの上で薄く目を開き、こちらを見つめていた。 「起きていたのか」 「そりゃ……待ってたワケだしな……」 「腹は減っているか?」 自分も圭も昼食をほとんど食べずに帰って来てしまっているので、圭の胃袋事情が気になった。 「そこそこってとこだな。ヒートになっちまうと、食欲が少し落ちる……」 その代わり性欲ばかりを持て余す羽目になるのだが、圭は敢えてそのことには触れなかった。 それは迷いがあるからだ。 恭一郎というαの人生に、男性Ωである自分が関与していいのかどうかが分からない。 今日からヒートが終わるまでここにいてくれると言うが、次のヒート時も同じようにしてくれるのかという約束がない。 「後で姉ちゃんが食うモン持ってきて、玄関にぶら下げとくって言ってた」 「そうか。お前はもう少し眠っているといい。何か物音がすれば俺が見ておく」 「悪ぃな……頼むわ……」 それきり圭は再び瞼を下ろし、寝息を立て始めた。 圭が目覚めたのは、夜8時を回った頃だった。 恭一郎はどこへ行ったのかと周囲を見回すと、部屋のドアの隙間から、ダイニングの明かりが薄く差し込んでいる。 「っ!?やべ……」 そうだ、自分はヒートに突入したのだと思い出した圭は、下半身が体液でびしょ濡れになっていることに気付いた。 いつもならさっさとズボンや下着を脱ぎ去って、腰にバスタオルを巻き付けておくのだが、今日は突然外でヒートになったことで、普段通りに対処できていない。 仕方なくジーンズとボクサーパンツを脱ぎ捨てた圭は、箪笥からバスタオルを取り出して腰に巻く。 こんな格好を恭一郎に見せるのは不本意だが、どの道1週間一緒にいれば遅かれ早かれバレてしまう事情でもある。 圭は心の中で割り切ると、思い切って寝室のドアを開けた。 「恭一郎……」 何やら書物に没頭していた恭一郎は、声をかけられて咄嗟に振り向き、次の瞬間息を飲んだ。 圭が下半身にタオルを巻いているのに驚き、美麗な顔が火照っていて、アーモンドの形をした双眸が潤んで途轍もない色気を醸し出しているのを感じ取ったからだ。 「見苦しいとこ見せてゴメン……けど、ヒート中はずっと下半身にタオル巻いてんだ」 「……なぜだ?」 「体液……ダダ洩れになってっから……」 「っ!?」 Ωという種別が他人の性欲を刺激することは、昼間目にした光景でまざまざと思い知らされたが、こんな格好をしなければならないほどに性が暴走しているとは考えていなかった。 そして今、圭の性欲は真っ直ぐに恭一郎に向けられている。 彼は言葉にしないが、そこに立っているだけでこちらの欲を駆り立てつつある。 「葛城、一つ訊いていいか?」 「何?」 「お前、大学を卒業する気はあるのか?」 なかなか痛いところを突いてくるなと、圭は恭一郎の向かいの席に落ち着いた。 「できればちゃんと卒業してーよ……けど、こんなザマじゃ、卒論なんてとても書けねーし」 「俺が手伝うと言ってもか?」 「は?」 「テーマをいくつか選んでおいた。ヒートが終わったら目を通しておいてくれ」 恭一郎は箇条書きにしたテーマを書いた手元のメモをちぎると、圭の目の前に滑らせた。

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