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第15話
翌日、恭一郎はようやく自宅へと帰ってきた。
とはいえ、心の中には不安が渦巻いている。
圭は被検体の話を前向きに考えており、どうやって諦めさせたらいいのかが分からないのだ。
「人道的なスカウトではないな……」
圭がモルモットのように、様々な薬剤を投与されて命の危機に瀕するようなことにならない保証はない。
ヒート中の性欲まで観察されるなど、彼の人権を完全に無視しているようにも思える。
要するに恭一郎から言わせてもらえば、圭のメリットなど多額の報酬以外にないだろうということだ。
それでも圭がそこに行こうとするのは、就職が難しいと分かっているからに違いない。
「なら、卒業して就職できるようにしてやればいい……」
今回のヒートに付き合った恭一郎は、何度か番になってもいいと思ったが、無理矢理その気持ちを抑え込み、圭のうなじにキスマークを残すことはなかった。
だが3週間後にはまたヒートになるであろう圭に対し、今度は遠慮も躊躇もするものか。
そんな決意を新たにした恭一郎の元に、圭が行方をくらましたという聖からの電話が入ったのは、決意を固めた1時間後のことだった。
大学の医学部は、別名「白い巨塔」と呼ばれている。
隣にある医学部以外の校舎とは違って、建物全体の色が白いのだ。
そんなタイトルのドラマを観たことがあったなと思いつつ、圭は大学病院の正面玄関をくぐった。
そして入ってすぐのところにある総合受付で、「奥寺教授とお会いしたいのですが」と告げる。
丁度教授は医局にいるとのことで、係の者が電話で圭が訪れた旨を伝えてくれた。
「教授がお会いするそうです。3階の内科医局に行ってください」
3階のフロアマップに、受付嬢が蛍光ペンで医局の場所を囲んでくれる。
圭はそのマップを手にすると靴底でリノリウムの床を蹴りながら、これからどうしようかと考えていた。
恭一郎のことは心から好きだ。
愛していると言っても過言ではない。
だが自分は男性Ωであり、この先恭一郎と一緒にいたら彼の明るい未来を潰しかねない存在だ。
だからあの家には戻らないつもりで、同意書を片手にここを訪れた。
3階に到着すると、エレベーターから降りてフロアへと足を踏み入れる。
そしてマップにある通りに歩き、小さな医局を見付けた。
圭は灰色のドアをノックして医局のドアを開き、誰もいないことを確認すると、恐る恐る内側に入ってみる。
教授の部屋はこの医局内の個室だとのことで、キョロキョロと左右を見回すと、この場にそぐわない重厚なドアが視界に入った。
よくよく目を凝らせば「教授室」と書かれている。
圭はその木目調のドアの前に立つと、2回ほどノックをして「葛城です」と名乗った。
「入りたまえ」
促されるままに内側に入り込む。
内部は医局の質素さを感じさせない豪華な造りで、赤絨毯が敷かれ、立派な黒皮張りの応接セットがあり、大きな教授用デスクが置かれていた。
奥寺は禿げ上がった髪の初老の男性で、白衣を着用することで威厳を醸し出している。
以前圭をスカウトした時よりも、少し頭髪が薄くなっただろうか。
「失礼します」
「よく来てくれたね。まあ座りなさい」
小さく一礼してから応接セットに座ると、奥寺も向かいに落ち着いた。
「今日は同意書をお持ちしました」
「決心してくれたのかね?」
「はい。ただし、条件があります」
「何だね?」
それは卒論なしで大学を卒業させてもらう、というものだった。
毎月ヒートに見舞われていたら、集中もへったくれもない。
更にΩとして開華してしまったがゆえに、もう開華前の自分には戻れないとも伝えた。
つまりヒートが終わっても、食欲や金銭欲より性欲が勝っているという状況になってしまっているのだ。
奥寺は圭の事情を聞いてしばらく腕を組んでいたが、同意書をかざしてやると案外簡単に折れた。
「分かった、私から君の担当教授に話を通しておこう」
「ありがとうございます。では、来年4月1日より、こちらでお世話になります」
圭は選ばなかった。
加納恭一郎と共に生きる道が提示されていて、本当はその道を選択したかったのに、敢えて彼と離れる道を選んだ。
そうでなければ恭一郎の将来を台無しにしてしまうと思い詰めるがゆえの決断だった。
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